エステルは、エリーゼ街道を我が家に向かっていた。
蝉の声と燦燦と照りすぎている真夏の太陽の日差し。
「・・・・・・・あついわね・・・。」
ギルドから我が家までの少しの距離でも、既に焦げそうである。
「こういう事なら、食堂あたりで涼んでくればよかったかしら・・・。」
しかし、ここの地点からなら家のほうが近い。
・・・心頭滅却すればなんとやら・・・・よ・・・。
ぐったりと体を引きずりつつ、エステルは家への道を行く。
「ただいまー。」
扉を開けてダイニングに入る。
家の中は・・・・・心なしかちょっとだけ外より冷えている・・・・様な気がしたが、やっぱり暑かった。
「おかえり。遅かったね?」
先に帰っていたらしいヨシュアの声が返ってくる。
「んー、ヨシュアが早かったのよきっと。」
適当に答えて・・・ふと気づく。
家の中にヨシュアが居ない。
「ヨシュア?どこ?」
「あぁ、こっちだよ。」
声は、外のほうからする。
見ると、池の傍の木陰で本を開いているヨシュアの姿が見えた。
「・・・この暑いのに、外で読書・・・?ヨシュアも物好きねー。」
「いや、家の中よりはマシだと思うよ。だまされたと思って来てみたら?」
確かに、風がまともに吹かない上に日当たり良好の部屋に居るよりは・・・マシ、かもしれない。
「そーね。ヨシュアにだまされるのなんていつもの事だし・・・」
言いながら、ヨシュアの居る木陰へ向かう。
「・・・僕がだましたんじゃなくて、君の観察力が足りてないだけだと思うけどね。」
確かに少しだけ涼しいような気がしないでもない。部屋よりはマシ、程度だが。
「必要な事をわざと言わないのは」
ぺたんと座り込んで、反論・・・
「普通気づくと思うから言わないだけだよ。」
する前に返された。
「・・・・・・・あんたって、ほんとーに口が達者よね・・・」
はぁ、とため息をつく。
「褒め言葉と受け取っておくよ。」
にこやかに返されて、さらにため息。
「・・・まぁいいわ。
確かに部屋よりはマシな気がするから、だまされたわけじゃなさそうだし。」
とん、と木に寄りかかって足を伸ばす。
「それはよかった。」
横目でヨシュアのほうを見ると、彼はまた手元の本に目を落としていた。
「何読んでるの?」
何とはなしに聞いてみる。
「『戦術オーブメントの歴史とその進化』」
「・・・・また難しそうなの読んでるわね・・・・。よりによって戦術オーブメント・・・」
導力魔法は、理論なども一応習ったのだが、エステルにとっては鬼門とも言える分野である。
理由:使えるのはわかるけど他はさっぱりわからない。
「そんなに難しいくないけどね・・・どっちみち理解できるようにならないといけない訳だし、読んでみてもいいと思うけど。」
「いや、いいわ・・・。この暑さでそんなの読んだら余計に頭が茹りそう・・・。」
クオーツとかセピスとか組み合わせとか許容量とか・・・考えただけで頭痛がしそうである。
「・・・まぁ、暑くて眠れない分辛いかもしれないしね。」
「そうそう。
・・・って、私がその本読んだら寝るとか思ってない?」
「いや?
確かに日曜学校の本なんかは開いただけで眠れてて凄いなあとか思ってたけど。」
「・・・・・・。」
ヨシュアは相変わらず涼しい顔で本に視線を落としている。
良く考えなくても、ヨシュアに口で勝てた事はほとんど無い事を思い返し、エステルは文句の替わりに一つため息をついた。
そのまま小さな沈黙が降りる。
BGMは蝉の声と、たまにページをめくる音。
普通なら眠りそうなところだが、・・・・如何せん暑かった。
読書の邪魔をするのもなんなので、一人ふらふらと視線をさまよわせる。
腹立たしいくらいに真っ青な空には雲ひとつない。
頭上の木の葉も今は風が無いので静かなもの。
丸太のある練習場は・・・・直射日光が泣けるほどに降り注いでいる。
今棒術の練習なんてしたら、確実に日射病で倒れるだろう。
首をめぐらせてヨシュアの方を見る。
難しそうな字の並ぶ本と、それを妙に真剣に追っている琥珀の目。
その間には鬱蒼と茂る木々。そして、いつも釣りをしていた池が見えた。
・・・池・・・・水・・・そういえば昔はよくあそこに落っこちて・・・。
「そーよ!」
ポン、と手を叩いて立ち上がる。
「どうしたの?」
不思議そうに見上げるヨシュアを見下ろして。
「ちょっと涼んでくるわ。ヨシュアも来ない?」
言って、ぱたぱたと池に向かう。
「・・・・え。」
なにか声が聞こえたが気にしない。
靴を脱いで、靴下を脱いで、素足を水に浸して温度を確認。
真夏だけあって、それなりの温度にはなっている。
確認したら、今度は他のも脱いで・・・
「エステル?!何やってるの?」
慌てたようなヨシュアの声。
「服脱いでるんだけど?」
振り返らずに言いながら、スパッツとシャツだけになり、池に入る。
パシャン。
予想通り、水の中はなかなかに快適だった。
一度もぐって体全体を濡らして、くるりと一泳ぎしてヨシュアのほうに向き直る。
「ヨシュアも来ない?なかなか快適よー♪」
「・・・・・・・・あ・・・・あのねぇ・・・。
16にもなって・・・・」
「水遊びするのに年齢なんて関係ないわよ。」
「・・・・そーいう意味じゃなくて・・・・・」
暑さのためかヨシュアは顔を赤くしてぐったりしている。
「んー?どうしたの?」
その様子はちょっと心配になった。
・・・やっぱり、この暑いのに外で読書なんてするから・・・・
ペタペタと岸に上がってヨシュアの方へ。
持っている本に水がかからないように注意しつつ、首の後ろに手を回す。
ペタリ。
「うわっ!?」
「そんなに驚かないでよ。水に入ってたんだからぬれてるの当たり前でしょ。」
首に当てていた手を離して、今度は額へ。
「・・・何するのさ?」
「ん?なんか調子悪そうだったから大丈夫かなぁと思って。
顔赤いしぐったりしてるし、・・・ちょっと冷やしたほうがいいんじゃない?」
琥珀の瞳を覗き込む。
やっぱり多少疲れが見える・・・と思ったところで目をそらされた。
「・・・・・誰のせいだと思ってるのさ・・・・・・」
ぼそりとつぶやいて立ち上がる。
「この暑いのに外で読書してたヨシュアのせいだと思うんだけど。」
「・・・・・そうかもね」
ヨシュアは、大きくため息をついた。
「僕は水泳は遠慮しとくよ。
確かに外に居過ぎたみたいだし、部屋で冷たいタオルでも当てておくさ。」
澄ましてきびすを返す。
「冷たいわねー。つきあいとかそーゆーもんがわかってないのかしら?」
片腕を掴むと、ヨシュアがにっこりと振り返った。
「そんなこといってたら、タオル持ってこないよ?
まさかそのずぶ濡れのままで家に入る気じゃないよね?」
必殺、裏ありまくりの笑顔。
「・・・・わかったわ・・・・」
息をついて腕を離すと、よろしぃ。と言ってヨシュアは家に入ってしまった。
仕方ないのでもう一度。
池に飛び込んでもう一泳ぎ。
「あー・・・。きもちいぃ。」
岸の木陰にもたれて目を閉じると、暑さと水泳で体力を消費したのか、なんとなく眠くなってきた。
・・・うー・・・水の中で寝ちゃ危ないよねぇ・・・
でも、目を閉じるくらいはいいよねぇ・・・・
ぱたぱたと動かしていた足を止めて体を伸ばす。
ぼんやりとした時間。
「エステル!!なに寝てるの!」
・・・・それは、いつの間にか目の前に立っていたヨシュアによって簡単に崩れたのだった。
「んー・・・寝てないよ?」
いい具合に冷えた体を岸に押し上げる。
「寝てなかったら、なんで僕が来たのに気がつかなかったのかな?」
「ちょっと別の事考えてただけよ!」
バツが悪くなって目をそらす。
「ふーん・・・・ちなみに何考えてたの?」
「・・・そりゃ・・・眠いなぁとか・・・・」
「で、寝そうになってたんだね。」
「・・・・そ、そういうこともあるわよ。」
言いながら岸に上がると、ヨシュアはエステルの胸にバスタオルを押し付けた。
「持ってきたから、ちゃんと体拭いてから家に上がるように。」
「はーい、わかりました。・・・ありがとう。」
頭を拭きつつ礼を言う。
「どういたしまして。
・・・・・僕としては早く上着着てくれることをお勧めするけど。」
なぜか背けられた顔。
「なんで?こっちのほうが涼しいんだけど・・・」
「・・・・・・下着・・・透けてるから。」
早口なその言葉は、非常にきまりが悪そうである。
言われて、胸元を見てみると、確かに・・・・白い薄手のシャツなのだから当たり前の結果が見えていた。
といっても。
「別に誰かに見られてるわけじゃないし、そんなに気にしなくても大丈夫じゃない?」
ヨシュアが一瞬固まった。
そして、深い・・・深いため息。
「いきなりお客さんが来たりしたら困るだろうし。
とにかく、さっさと服着とくように。いいね?」
有無を言わせぬそのまろやかな口調。
「はーい。」
「よろしい。」
その言葉と共に、ヨシュアは家に入ってしまった。
その後しばらく、エステルはヨシュアと顔を合わせる度にため息を吐かれてしまう。
・・・が、原因は彼女の中では未だもって謎のままである。
こういう暑い日の話を書くときって、いつも私の実家の九州の死ねそうな夏を思い出しながら書いてたりします。