「やぁっ!はっ!たぁっ!」
棒が丸太を打つ音が響いている。高い掛け声はエステルのものだろう。
・・・朝っぱらから元気だなぁ・・・
今日の朝食はカシウスの当番。下からはフライパン調理の音が聞こえてきている。
着替えて、掛け声のする方へ向かうと、予想通りエステルが棒術の稽古をしていた。
丁度一息ついた所らしく、自分に気がつくとパタパタと駆けてくる。
「おはよう!・・・起こしちゃった?」
「おはよう。起こされたけど、・・・朝だからいいよ。」
「そう?ごめんね。」
たはは、と苦笑いしてエステルが頭をかいて・・・ぽん、と手を打つ。
「そーだ!起きたついでに稽古に付き合わない?」
「え。」
「昨日新しく木剣もらってたじゃない。ヨシュアも武術やるんでしょ?」
確かに、『護身用にはなるな?』などと言われつつ、木剣を渡されたのは昨日の事である。
そういえば、それを見た時のエステルの目が輝いてたのを思い出した。
「・・・それは、そうだけど・・・僕には・・・。」
「大丈夫よ!ちゃーんとおねーさんは手加減してあげるからっ♪」
最後まで言う前に、エステルに明るくさえぎられてしまう。
手加減するのは僕のほうだ、と思ったが、それを言ったら益々乗り気になる事は火を見るより明らかだった。
「いやー、たまに父さんが相手してくれるけど、それ以外の人とやる事ってほとんど無くって♪ヨシュアが武術やるんなら、これでいつも相手には事欠かないし。」
一人で黙々と丸太打つのも寂しいもんね。
無邪気な期待に満ち満ちた笑顔に押し切られて、結局ヨシュアは自室に木剣を取りに行く事になったのだった。
「さぁ、かかってらっしゃい!!」
木の双剣をもって広場に立つと、エステルがぴしっと身構えた。
「じゃぁ、行くよ。」
しぶしぶ剣を構えて、相手を見据える。
エステルの腕は、子供にしてはかなりのものだと思える。しかし、所詮は子供レベル。
どれくらい手加減したものか考えながら、まず右から剣を振る。
カァンッと木の音が響いた。
「いいところに当ててくるのね。でも、全っ然力入ってないわよっ!」
・・・本気で力入れたら折れるだろっ!
内心剣以上に鋭くツッコミを返しつつ、エステルの第一撃を受ける。
ガンッ
今度はかなり重い音がした。剣で受け止めた時の重さで大体の手加減の見当をつける。
次は、左。片方の剣で棒の向きを変える間に右に行こうとしてはじかれた。
ぴょん、と後ろに飛びのいたエステルが、肩を少し上下させている。
「やるわねー。手加減いらないみたいじゃない。」
エステルの瞳にうれしそうな輝きが浮かんでいた。
「それはどうも。」
先ほどの一合で、闘志に火をつけたらしい。
「それは、本気で来てもいいってこと?」
「・・・・・どうぞ。」
言うまでもなく、エステルのほうは既に棒を構えている。
合わせて自分も剣を構えた。
「やぁぁぁぁぁっ!!!」
掛け声と共に真正面から突っ込んでくる。
右・左・真ん中、と棒を回転させながら打ち込んでくる様は、武道というより舞踏のようだった。
自然、こちらも素早く応戦する事になる。
「どうしたの?そっちも打ち込んでらっしゃいよ!」
言いながらも、攻撃の手は休まっては居ない。
片方の剣で軽く棒をハネて、もう片方で攻撃。
・・・これで勝負は着けられる。
確信を持って一歩踏み出し、胴を薙ぐ。
しかし、それは予想を上回る速さで戻ってきた棒に止められ・・・
・・・!!!
カァンッ!
胴を薙ぐはずだった力は逆利用されて、片手が浮く。
そのままこちらの胴に棒が迫る。
考える前に体が動いた。
棒を横様に蹴って横へ飛ぶ。
そのまま戻りの勢いを借りて、剣を薙ぐ。
あっけに取られている標的の・・・喉を目掛けて。
その一瞬、標的の目が見えた。
幾度と無く見てきた眼・・・そこにある表情は恐怖。
その表情の持ち主は・・・
・・・っ・・・・!!!!!!!
我に返ったのは剣が届く一瞬前。
剣を引くのはもちろん間に合わない。
エステルは、見事に首を直撃されて、そのまま倒れこんだ。
「エステル・・・?!」
木剣を投げ捨てて抱き起こす。
返事は無く、エステルの重みだけがぐったりと伝わってきた。
やってしまった事の重さは間違いなくこれ以上。
「エステル!!ヨシュア!!!!」
カシウスの声が響いた。
「・・・・・・。」
のろのろとカシウスの方に顔を向ける。
カシウスは急ぎ足でこちらに来ると、手早く娘の状態を調べた。
その間ヨシュアには、ただ呆然とエステルを抱く事しか出来ない。
「・・・・気を失ってるだけか。」
どこか気の抜けた声でそう言うと、カシウスは辺りを見回し、ヨシュアに向き直った。
「稽古に付き合ってたと思ってたが・・・手加減し損ねたか。」
どうやら、広場の状況で大体の事態を飲み込んだらしい。
「だが、エステルが気を失うってことは・・・どこを打った?」
「・・・・喉を。」
喉がからからに乾いた声がした。
カシウスが一瞬顔色を変えたのも、判った。
「・・・そうか。」
そこで一つ、息がつかれた。
「エステルをベッドに。まずは手当てだ。」
細い首には湿布とゆるく巻かれた包帯。
今は寝ているだけ・・・だと思う。
「・・・・で、だ。」
カシウスが口を開いた。
「稽古中なら、普通は喉は狙わん。喉だけじゃない、急所全般だ。それは判るな?」
「・・・・・・・・・・・うん。」
「エステルにも、狙わないように言っている。たとえ実戦になったとしてもだ。」
言ってこちらを見据える。
「なぜだか判るか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
答えられなかった。
実戦ならば、標的を効率よく無力化する事が重要・・・そのためには急所を狙うのは当たり前。
実戦でわざわざ急所を狙わない理由など、自分の中には存在しない。
「・・・判らないのか。」
首を縦に振る。
「武器を持つ人間の基本なんだがな・・・まぁ、あれじゃあ習ってるわけも無いか。」
言って息をついた。
「武器は守るためのものだ。殺すためのものじゃない。
守るだけなら、別に相手を殺さなくてもいい。
お前には甘い理想にしか聞こえないかもしれないが、これだけは覚えておくんだ。
それじゃなかったら、武器は持つな。いいな?」
「・・・・はい。」
力なく頷くと、カシウスはぽん、とヨシュアの頭に手を置いた。
「・・・一種の職業病なんだろうがな。」
顔を上げると、ハシバミ色の目と目が合った。
「俺も同じだからな。
こんな仕事やっていなかったら、エステルが倒れているのを見た時にお前を殴り倒していたさ。」
何を見てもどこか冷静に対処しちまうんだよな。
苦笑いで誤魔化したハシバミの目には、隠し損ねた影が見えた。
「もう、しないな?」
「はい・・・。
ごめんなさい。」
「よしよし。まぁ、またエステルの相手をしてやってくれ。」
「!
そんな、危ないのに・・・さっき、僕がやった事わかって」
言葉は簡単にさえぎられた。
「わかってるさ。だが、十分すぎるほど反省してるのもわかってるぞ。」
「・・・・・。」
カシウスは一つ息をついた。
「エステルもな、家だと一人の事が多いから稽古相手がほしかっただろうし。
剣を渡したのだって、子供二人じゃ物騒だからというのもあるが、稽古相手になってくれないかと思ったというのもあってなぁ。
それとも、エステルの相手は不服か?」
「・・・・いえ、そんなことは・・・ただ・・・」
「またやりそう、か?」
「いいえ!・・・二度としません。」
急所を叩く事の恐ろしさは、さっきの一件で骨身に沁みた。
恐怖に引きつったエステルの顔。
あれを見てしまったから・・・もうできない。
「でも、なんで・・・僕を信用できるんですか?」
なんだ、そんなことか。・・・とカシウスの表情は言っていた。
「自分の子を信用しない親は居ないさ。」
言って、立ち上がる。
「さて・・・朝食を持ってくるからエステルを看ててくれよ。」
せっかく腕によりをかけて作ったのに、温め直しか・・・
いつもの調子に戻って、カシウスはぼやきながら部屋を出て行く。
その背中をぼーっと見送って、ヨシュアはベッドの上に視線を移した。
細い首にゆるく巻かれた包帯が痛い。
・・・もう少しで殺すところだった。
エステルに反撃を喰らいそうになった瞬間、自分は確かに昔に戻っていたと思う。
たったあれだけのことで。
・・・守るべきものなのに、自分で殺しかけていれば世話無いな。
一撃を入れる寸前のエステルの顔が浮かぶ。
やっぱり、人殺しに人を守るなんてことは無理なのか。
「エステル・・・。」
名前をつぶやいて、ベッドにひじをつく。
「ごめん・・・・。」
その声が聞こえたのか、ベッドが少し揺らいだのか、エステルが少し身じろぎした。
「!
エステル?気がついた?」
カシウスと同じ色の目がゆっくり開く。
「・・ひぁ・・・・」
声を出そうとして、エステルが咳き込んだ。
慌てて背中を叩く。
「無理しないで。・・・声出る?」
「・・・あ・・・あ”ぁ・・・。」
また、けほけほと咳き込む。
喉にかなりのダメージがいっていたことを目の当たりにして、背筋が寒くなった。
もしかしたら。
彼女は。
声を。
「声・・・出ないの?」
言った声は、自分でも震えているのがわかった。
「(あはは、何泣きそうな顔してるの。だいじょぶよ♪)」
ヒューヒューと息の音が混じる、かすれた声。
おしになったという事はなさそうで、ほっと胸をなでおろす。
「でも。まだ痛むはずだから。無理してしゃべらないで。」
エステルが、「ばれてたかー。」という顔をしながら頷いた。
「・・・さっきは、ごめん。やりすぎた。」
ぽんぽん、と肩が叩かれる。
ハタハタと手を振って・・・「気にしないのー。」ということらしい。
「でも。よりによって喉狙っちゃって・・・」
「・・・(実戦じゃ急所狙われても文句言えないでしょ?)」
「あんまりしゃべらないで」
しかし、エステルはそれを手でさえぎって、かすれた声でさらに続けた。
「(防御の時は、ちゃんとソウテイしとかないといけないのよね。
油断した私も悪いわ。悪者は何するかわからないんだから。)」
「悪者って。」
「(あ、ヨシュアのことじゃないわよ。
そのうち、私はたくさんの悪者と遭う事になるから。
遊撃士ってそういうお仕事だと思うし。)」
「遊撃士・・・。」
「(うん。私遊撃士になるの。お父さん追い越して、皆を守りたいの。)」
かすれた声でそういうと、エステルはぐっと拳を握り締めた。
「(その為に、今から実戦の事もちゃんと考えなきゃいけないと思うんだ。
そしたら、ヨシュアだって守ってあげられるから。)」
・・・僕は・・・守るどころか傷つけて、挙句守られるのか・・・
首を横に振って、エステルに向き直る。
「エステルに守られるくらいなら、僕がエステルを守るよ。」
「(弟に守られるなんて情けないわ。それに、自分の身くらい守れるもん。)」
「一人で全部やるのは難しいよ。君くらいは守りたいんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
沈黙する目には、悩みと・・・心配そうな光が宿っていた。
先ほどの事を思えば、当然と言えば当然である。
「もう、さっきみたいに・・・傷つけたりはしないから。」
しかし、エステルは首を振った。
「(そんなことは心配してないわ。
・・・・もう、さっきみたいに一人で泣きそうな顔しない?)」
「・・・・・・え。」
意外な言葉に、こちらの時間が止まる。
「(おねーさんとしてはね、一人で泣きそうになってる弟を見てると、守ってやらなきゃいけないと思ってしまうわけ。)」
「・・・・・。」
「(そんなのに守られたって、自分が情けないだけでしょ。)」
「わかった。・・・もうしないから。」
「(うむ、いい返事♪
もし、そんなことがあったらいつでもおねーさんを頼りなさい。いいわね?)」
「・・・・・うん。」
「(OK。
強さは申し分ないし、一人より二人のほうがいいもんね。
えーっと、なんだっけ。
そう、・・・・私の背中はヨシュアに預けるわ!)」
勢い込んでそう言って・・・けほけほと咽る。
「無理しないで。」
あわてて背中を叩く。
エステルは、首を横に振るとちぃさな手を差し出した。
「(だから、一緒に頑張ろうね!)」
「うん、・・・ありがとう。」
その手を握ると、武器を持つ人の手の感触がした。
「(そういう時は、頑張る!って言うの・・・)」
ケホケホケホ。
勢い込んでまた咽ている背中を軽く叩く。
「さっきから、しゃべりすぎたと思うから。
もう、しゃべっちゃだめだよ。無理はしないで。いいね?」
さすがに懲りたのか、エステルは大人しく頷く。
「僕も頑張るから。一緒に遊撃士になろう。」
言うと、握られたままの手が、ぎゅっと握られた。
「はいるぞー。」
声とお盆と共にカシウスが入ってくる。
「お、気がついたか。大丈夫だったか?」
「(モチのロンよ!)」
エステルは、カシウスを見るなりぱっと顔をあげた。
「エステル!声出すなって言ったばかりだろ。」
「(けちけちしないの!)」
かすれたままの声だが、元気なものである。
「その調子なら、大丈夫そうではあるな・・・
ただ、今日はあんまり喉に負担をかけるんじゃないぞ。いいな?」
「(はーぃ)」
「よしよし。
朝から稽古してて腹減っただろ?朝食だぞ。」
その瞬間、エステルの目がきらめいたのがわかった。
「・・・ゆっくり食べるんだよ?判ってるね?」
言わないと、いつものように早食いしかねない。
「・・・・・・・(は・・・)」
こくり。
口で答えようとして、こちらの視線に気がついて・・・慌てて頷く。
「ヨシュアがうちに来た時と、立場が逆転してるな。」
言って、カシウスが笑った。
「僕はけが人にとび蹴りなんてし・ま・せ・ん。」
「(いつ私が・・・)!」
エステルが、声を出しかけてまた黙る。
その憮然とした目と目があって、自然に笑いがこぼれた。
それは、ごく自然に3人に広がっていく。
暖かい時間。
その時やっと、ヨシュアは自分が家族の中に居る事を感じたのだった。
一応、過去話。お留守番の話よりは後だと思います多分。
パパがいいとこ総取りしてるのは、仕様です。