威勢のいい掛け声がブライト家の練習場に響いていた。
ぴし、ぱし、と素早く動きを決め、基本の型を押さえて行く。双剣と棒では多少の違いはあるものの、二人の型のタイミングは完全に一致している。
日課の修行の最中だった。
走り込みからスタートして、脇を飛んでいる虫やら鳥やらに気が逸れそうなエステルを窘めつつ練習場に戻って、後は基本の型練習をひたすら繰り返すのだ。
びしっと最後の型を決めて、一息ついたのは同時だった。
「まだ少し甘いかな。」
練習用の木剣を軽く振りながら、型を確認。腕の振りと止めをやり直しながら理想の型を目指してみる。
「ねえ、ヨシュア。」
同じように確認していたエステルがひょいっと振り返った。
「何?」
「そろそろ手合わせしない?型ばっかりだと飽きるじゃない。」
そういいながら、軽く構えをして見せる。
しかし、それには乗れなかった。
「駄目。危ないだろ。」
即答である。
手合わせは、二人だけの時はしない事にしていた。カシウスは構わないと言っていたのだが、ここ最近めきめきと強くなったエステル相手に上手く加減できる自信はない。
上手く加減できない場合どうなるか。
「危ない危ないって言ってたら手合わせなんて出来ないわよ。」
「そうだね。だから駄目。」
倒れたまま動かない身体、呼びかけても開かない目、そして急所についた痣と、それを覆うように巻かれた包帯。……想像するだけでも血が凍りそうな事になるのは証明済みだった。
「実践も大事だと思うわよ。」
エステルはなおも食い下がる。
「それはね。だけどその前に型をちゃんとやる事からだろ。」
「でも、久しぶりに手合わせしようよ。足場動かさないと、防御姿勢だって身体捌きだって身につかないでしょ。それに」
「さっきから脇甘いよ。」
なおも言い募るエステルの言葉は、皆まで言わせずさえぎった。
「棒振ってる時の重心の移動も少し揺れてる。そこら辺からどうにかしたら?」
そして自分の型練習を再開する。
自分の剣を振る音だけが響く事数秒。
「ヨシュアのばかあああああああ!!!!」
傍らのエステルの気配が爆発して、同時に棒が襲い掛かってきた。
木剣を交差させて止めるが、連続攻撃は止まらない。
「エステル!危ないって!」
「やっかましいわよ!!ヨシュアのわからずや!!」
その一言に、カチンと当たるものがあった。
「わからずやは」
気を練り、下方から伸び上がるように剣を繰り出す。
「どっちだよ!!」
狙いは棒を持つ手。軽く手首を跳ね上げて、畳み掛けるように棒を叩くと、勢いのついていた棒はあっさりと放り出されてしまった。
「とにかく!僕はやらないからね!」
一緒に居たらまた飛び掛ってこられてまた同じ事の繰り返しだろう。そう判断すると、ヨシュアはエステルに背を向け、さっさと部屋に引き上げることにしたのだった。
「何よ!!何よ!!あによおっ!!!」
苛立った……いや、怒りに満ちた声が練習場にこだまする。
二階の自分の部屋まで響いてくる打撃音は、エステルの棒が練習用の丸太を打つ音だ。二階に上がってしばらくは、怒りに任せたような音がしていたのだが、少し静かになった……と思ったらさらに大きな音がしてきた。
力の入り方は聞いているだけでも雑で、もうもはや単純に殴っているだけだろう。
「ヨシュアの!わからずや!馬鹿あああああ!!!!!」
耳を塞ぎたくなるような怒鳴り声と共に、芯を打ち据えたような打撃音が一際大きく響き、……そして、練習場は静かになった。
気が済んだのだろうか。それとも疲れたから一時休憩なのだろうか。
どちらにしろ、今は構うような気分ではなかった。
人の気も知らないで、と思う。
身体に染み付いた暗殺の剣は、急所を外すつもりで武器を取ってもそうそう簡単に消えるものではなかった。エステルと共に練習だの修行だのするようになっても、武器は守るためのものと理解しても、身体は常に最短で敵を殺す方向に動いているのが自分で解る。
エステルは狙いがいつも正確よねぇと半ば羨ましげに言っていたし、カシウスはまあ効率的でいいんじゃないか、と言っていたのだが、そういう問題ではない。もしも反射で身体が動いた場合、確実に自分の身体は急所を狙いに行ってしまうのだ。相手が誰であっても。そして、もしも……もしもエステルを傷つけてしまったら。……その後冷静に対処できる自信なんて、どこを探したってない。
掛け値なしに危険なのだ。そんな状態で手合わせなんて出来るわけがなかった。
……せめて、カシウスが居る時でないと。
仕事だと言って出かけたっきりの二人目の父親の顔を思い浮かべる。
手合わせ位大丈夫だろう?と言っていたが、大丈夫の保証はどこにもないのに、なぜそんな事が言えたのか。
わからない。頼るに足る人物だということも、偉大だということも骨身に沁みて解っているが、こればかりはどうしても信じられないのだ。
ため息をついて顔を上げる。
階下の練習場はまだ静かなようだった。
あれほど怒鳴り散らしていたのだが、そろそろ疲れたのだろうか。それにしては二階に上がってくる気配がないのだが。
そっと廊下に出て、練習場の方を窺ってみる。しかし、エステルの姿は見当たらない。
なんとなく、悪い予感がした。
そっと目を閉じ、全力で階下の気配を探ってみる。やはり、居ない。
悪い予感はさらに背を上ってくる。
階段を駆け下り、居間へ飛び込む。いない。風呂場の水音もない。キッチンにも、カシウスの部屋にも。
どこに行ったのだろう。
焦る気持ちを抑え、外に出てみる。
練習場に回っても、エステルは居なかった。練習用の丸太が突っ立っているだけだ。ただ、なんとなく違うものが見えて丸太に寄ってみる。
一際打ち付けた跡が酷い場所の真ん中に一言、何か書いてあった。
『ヨシュアのバカ!!』
思わず額を押さえる。
エステルはその箇所を目指して棒を振っていたようだった。かなり正確に。
家の周囲を見回っても、いる感じはしなかった。バケツも置きっぱなしだから釣りに行ったわけでもないし、そもそも釣竿も虫取り網も財布なんかも全部二階だ。
……ただし、棒だけはなくなっていた。
「エステル!!」
呼んでみてもかすかな反応すら聞き取れず、声はあっさり空に吸い込まれる。
嫌な予感しかしない。
ここから、行くとしたら、どこだろう。
ありがたいのはミルヒ街道を行ってティオの所に遊びに行っているか、町に行ってエリッサのところに遊びに行っているか、だろう。しかし、この二箇所は棒を持っていくところではない。
修行目的なら、と考える。遊撃士協会に行くというのは有りだ。ただ、今は相手をしてくれそうなシェラザードは出張で居ないはずで、行っても特に意味は無い。魔獣が出る所と言えば鉱山や塔だが、危険ということで子供は立ち入り禁止だし、見張りも付いていて入れないだろう。
となると、家の傍から広がるミストヴァルドが一番可能性は高い。エステルの性格上もなんとなくそんな気がする。
ぞっとした。
ミストヴァルドは、確かに入り口付近なら木登りや虫取り、魚釣りにうってつけだ。しかし、少しわき道に逸れれば危険なのは塔と大して変わらない。今のエステル一人には危なすぎる。
二階に駆け上がり、武器を手に取る。エステルの部屋を叩いて、居ないのを確認。もはや一刻の猶予も無かった。
「エステル!居る!?」
森に入って、声を上げる。魔獣がこっちに気付こうがどうしようが構わない。願うのはたった一つ、彼女が無事で居る事だけ。
辺りに注意を払いつつ、足をすすめる。どこに行った。……もしもエステルならどこに行くだろう。
一人で拗ねるなら奥の方だろう、となんとなく確信があった。釣りスポットは一人になるにはうってつけだし、行き慣れているからハードルも低い。それに、あそこには打撃用丸木の代わりに格好の大木がある。
「エステルーー!!」
名前を呼びながらひとまず奥を目指す。行くにつれ、なんだか空気が騒がしくなってきた。がさがさと生き物が動き回る気配がする。さらに走ると、少しずつ声が聞えてきた。棒を振る音、打撃音もだ。
「この!!離れてよ!!」
予感は的中していた。
「エステル!!」
スピードを上げる。見えてきたエステルは、当初思っていた所に、大体予想通りの状態でいた。
案の上魔獣ニ匹と戦闘状態である。まだ強いのは出てきていないのが幸いだが、敵は少ないとはいえ複数。
「何、やってるんだ、よ!!!」
「え、ヨシュア!?」
魔獣の真ん中に一息で飛び込んで、ひとまずエステルの一番近くの魔獣を渾身の打撃で黙らせた。不意を打たれた魔獣は潰れるような声を上げて倒れる。
辺りを見回すと、どうやらエステルでもいくらかは倒せたらしく、魔獣がずるずると逃げたような痕が少し見えていた。
「エステル、走れるね?」
「え、あ、」
足元に怪我が無い事を確認し、エステルの手を取る。
「逃げるよ!!」
言うと同時に走り出す。エステルは最初は面食らったようだったが、すぐにスピードが追いついてきた。
そのまま全力ダッシュで森の入り口方面へ向かう。
「脇いくよ!」
「うん!」
手を引っ張ると理解はしてくれたらしい。ひとまず道の脇に飛び込む。
息を整えながら、敵が追ってきていないことを確認。茂み越しに覗いた道にはもう魔獣は居ない。
どうやらなんとか撒けたらしい、と。そこまで解った所で、ふうっと力が抜けた。
「なんとか、撒けたか……」
「はあ……助かった……」
荒い息をついているエステルのほうに向き直る。
「エステル。」
「んー?」
体力を回復するのに精一杯のぼんやりとした瞳が、こちらを見た瞬間ぴたりと固まった。
「なんでこんな事したんだよ!!危ないだろ!!」
気持ちのまま、そう怒鳴りつける。
「……ごめんなさい……。」
しゅん、とエステルがしおれた。
「その、ヨシュアが相手してくれないから一人で実践やろうかと思ったんだけど」
「怪我したら!……どうするつもりだったんだよ!」
一息に声を上げて、そして、森の中だったと気付いてトーンを落とす。
「……だってほら、修行に怪我なんて付き物だし」
ぼそっという言い訳がましい言葉にまた思わず声が上がった。
「そう言う問題じゃない!」
本当に強い魔物が出てきたら僕ら全く太刀打ちできないんだよ!
怪我だけじゃ済まないかもしれないんだ、そこら辺は解ってるの!?」
「じゃあ!……なんで相手してくれなかったのよ!」
エステルが声を荒げる。
「危ないからって言っただろ!」
「危ない危ないって、修行が危ないのなんて当たり前でしょ!ヨシュアってば過保護すぎるのよ!
それとも何よ、私が弱すぎるから相手しないっての?!」
「違う!!」
脊髄反射のように否定した声は想像以上に上がっていた。
「エステル、君は前より強くなってる。だから、僕に余裕がなくなって……また反射で動いたら、前みたいに下手なところ打ってしまったら」
脳裏に浮かぶのは、返事の無い、動かないエステルの姿。
思い出すだけで背筋を悪寒が駆け抜けて、思わず声が詰まった。
「……僕は、エステルを傷つけたくないんだ。」
やっとそこまで口にする。
エステルは、しばし無言で固まっていた、らしい。
「……ごめん、なさい……」
ややあって聞こえてきたのは、心底反省を滲ませた声だった。
解ってくれたようだが、すぐに言葉が浮かぶ程の余裕はない。結局沈黙がおちる。
俯けた目に映るのは、薄暗くなった森の地面だけだ。それは、そろそろ日が落ちる事を知らせていた。
「……わかってくれたなら、いいよ。」
ふ、と息をついて、顔を上げる。そして、不安と申し訳なさに染まっているエステルの目を見た。
「帰ろう。暗くなったら危ないから。」
自分は多少なりともエステルを安心させるような顔が出来ているだろうか。そんな事を思いながら、エステルの手を取る。すると、エステルの表情も安心したように緩んだ。
「うん!」
取った手が、ぎゅっと握り返される。だから、こちらも握り返して歩き出した。
そっとそっと森を出れば、既にあたりは夕暮れ時だった。
「ヨシュアも、多分前より強くなってると思うんだけどな。」
歩きながらエステルがぽつりと言う。
「だから、余り余裕無くすなんてないと思ったんだけど。」
声ににじむのは全幅の信頼。くすぐったいような嬉しいような、ありがたいような辛いような気持ちになる。
「それは……ありがとう。」
混ざり合って判然としないが、それは全部自分の本心だ。
「でも、やっぱり自信ないんだ。ごめん。
だから、手合わせはやっぱり父さんが帰ってきてる時がいいかな。」
だから、今の答えはまだ変えようがなかった。
「そんなものなの?」
エステルは、少し不服そうに首を傾げる。
「そんなものだよ。」
こくりと頷く。
「ごめん、そのうちには父さん居なくても相手出来るようになるから。」
それまで待ってて。そう言うと、エステルは少しだけつまらなそうに、でも聞き分けよく頷いた。
「わかったわ。そしたら今度は私がヨシュアたおすからね!」
ただ、その中には何か聞き捨てならない言葉が混じっている。
「僕は相手出来るようにするとは言ったけど、別にエステルに倒されるなんて言ってないよ。」
「でも、やり合ったらどっちが勝つかなんてわからないじゃない。」
どこからともなく出てきた自信の見える言葉にむっとなって言い返す。
「僕が勝つさ。」
「私が勝つわよ。」
ぐぐっと睨み合って、それと一緒に握った手にも力が入った。
固く握りしめ合った手が少し痛くて我に返る。それと同時に言いようのないおかしさが込み上げてきた。
「ふふ」
「あはははっ!」
笑い出したのは二人同時だ。
手をつないで歩きながら笑い合うことしばし。
「父さん、早く帰ってくるといいね。」
笑って緩んでいた手がもう一度握りしめられる。
「そうだね。」
だから、また握り返した。
二人で歩く家への道は紫と赤の色が交じり合っている。
いつのまにか空はそろそろ夕暮れも終わり時で、一番星の光も見え始めていたのだった。

「ケンカして別行動するんだけど結局エステルのことが心配で様子を見にゆくとやっぱりひとりでやんちゃしまくってるから再び叱り付けているうちになんだか仲直りしているヨシュエスかわいいからそういうのが読みたいです」
それは可愛いな!と思ったので超久々に書いてみたヨシュエス。色々マンネリかなあと思いつつも、やっぱりヨシュエス可愛いんだなと思いました。
そして、タイトル思いつかないと嘆いてたらタイトルもつけてもらえた上にイラストまで頂いてしまって感動しまくったので全力で自慢します。夕焼けと一番星で小さいヨシュエス本当可愛い……!ありがとうございました!
原寸大の綺麗なのはTresureのトコからどうぞ。