そう言ってエステルがいつものように一歩踏み出す。
「おう、お土産期待してていいぞ。」
カシウスは、彼女の頭を荒っぽくなでる。
すると、エステルは少しむくれる。
「もう、子ども扱いしないでよ。
あ、回りに迷惑掛けないようにね!」
「お前な。・・・俺をなんだと思ってるんだ。」
カシウスは、そう言って腰に手を当ててため息を付いた。
「ヨシュア。」
返事をして一歩前へ。エステルと並ぶと、頭に手を置かれる。
「手間をかけると思うが、エステルを頼んだぞ。」
いつもと同じ言葉。
「わかった。父さんも気をつけていってらっしゃい。」
これまたいつもと同じ言葉を返して、カシウスの瞳と目を合わせる。
カシウスは満足げに、よしよし、と頭をなでると、『じゃあ、いってくるからな』と踵を返した。
「いってらっしゃーい。」
エステルが、一歩前に出て手を振る。
カシウスはそれに手を振り返すと、客室に消えていった。
やがて、離陸を告げるアナウンスと飛空挺のオーバルエンジンの音が響き、巨大な機体が空中に持ち上がる。
真昼の空に消えていくそれを、エステルはじっと眺めていた。
どこか寂しそうで、どこか心配そうな横顔。
カシウスが『剣聖』と称えられ活躍する後ろには、エステルのその表情がいくつも積もっている。
そんなことを、ブライト家に来て初めて知った。
飛空挺の影が見えなくなっても、エステルはその先を目で追い続ける。
ヨシュアは少し息をついて、エステルの肩を叩いた。
「エステル、もういこうか。」
彼女を現実に引き戻すのは、ヨシュアの役目になっていた。
エステルは、びくりと振り向く。
そして、一瞬固まって、笑顔を貼り付けて・・・苦笑いの顔になって頷く。
これもいつもと同じ。
「そうね、いこっか。ヨシュア、これからバイトだったっけ。」
・・・次の瞬間、エステルの表情が曇り無い笑顔になっていることも。
アルバイト先は、武器屋だった。
いつも世話になっているエルガーのところで手伝いをさせてもらっている。
商品の手入れや店番。仕事も覚えて、それなりに力になっている・・・らしい。
「こんにちは」
「こんにちわー」
今日は、エステルと一緒に武器屋の扉をくぐる。
「お、二人ともいらっしゃい。カシウスはもう行ったのか?」
エルガーがカウンターの中から顔を出す。
「うん、さっき見送ってきたところよ。」
エステルがカウンターに駆け寄った。
「棒術の道具何か入荷してない?」
勢い込んでカウンターに飛びつく。
「すまんが、今回は特に入ってないな。」
エルガーが答える。
「そっかぁ。」
エステルはくたりと息をついて、・・・一つ手を打った。
「そうだ、もうそろそろ篭手新調したいから、小さめで手ごろなのあったら取っててくれると嬉しいんだけど。」
大人用だとサイズが合わない、とはエステルがいつもぼやく事だ。
エルガーは頷いて、メモを取り出す。
「小さめの篭手だな。わかった。棒のほうはどうする?」
「そっちはいいわ。やっと手に馴染んできた所だから。」
エステルがそう答えると、エルガーはカウンターの中からエステルの頭をぐいと撫でた。
「なかなかの口利くようになったじゃないか。」
「いやぁ、それほどでも♪」
そんな客と店主の会話を横で聞きながら、ヨシュアは荷物をカウンタ内に置いてエプロンをつける。
さて、今日は何からはじめよう。
「あ、ヨシュアー。」
とりあえず商品棚の整頓を始めたところで、エステルから声がかかった。
「何?」
「私、もう行くけど、きりきり働いてきなさいよー。」
そう言ってからからと笑う。
「・・・・あのねぇ。」
そして、こちらのジト目も気にせずエルガーに声を掛けた。
「それじゃ、エルガーさん。ヨシュアをよろしくお願いします。」
「おうよ。エステルもすっかり姉ちゃんが板についたなあ。」
店主は鷹揚に笑った。目を細めてエステルを見る。
「そりゃ、かわい・・・くないけど弟いるもの。」
エステルはえへん、と胸を張るが・・・わざわざ言い直さなくてもいいと思うのは自分だけだろうか。
「悪かったね、可愛くなくて。」
自然、声にも険がこもる。
だからといって、『可愛い』といわれても嬉しくないが。
ぽむぽむ、と肩を叩く感覚。
「拗ねない拗ねない。」
振り向きもせず、その手を軽くどける。
「・・・ったく。
大体誰が弟だよ。」
「だって私の方がブライト家では先輩よ。」
姉弟談義になると、エステルはきまってこの言葉を言う。
「それが何?」
商品棚を整頓する手は休めず、冷ややかに受け流す。
「あ、姉を敬うとかそういう気持ち無いわけ?」
「だから誰が姉なんだよ。いつもフォローしてるのは誰?
どうみたって僕の方が兄じゃないか。」
噛み付いてくる言葉も、事実と冷静さで押し切る。
エステルが少し黙った。
そして・・・ややあって口を開く。
「・・・世の中にはねんこうじょれつという言葉もあるのよ?」
「意味判って言ってる?」
「・・・・・・・・・・。」
おそらく半分しか判っていなかったに違いない。エステルが黙る。
・・・勝った。
この手の言いあいでエステルに負けることはそうそう無いのだが。
エルガーはその様子をみながらくすくすと笑っている。
「と、とにかく!
おじさんに迷惑かけないように。
それじゃ、またね。」
エステルはそういって手を振ると、武器屋からぱたぱたと駆け出していった。
「まったくもう・・・。」
カラン、と鳴る扉の音を聞きながら一つため息。
「相変わらず元気だなあ。嵐みたいだ。」
エルガーも一つ息をついて・・・それでもまだくすくすと笑っている。
「いつも元気すぎて大変ですよ。」
そういうと、エルガーがにやりと笑った。
「そういういい方してると、ヨシュアの方が兄ちゃんみたいだな。」
「みたいじゃなくって、実際そうなんです。
全くエステルと来たらいつまで経っても落ち着きが無いんだから・・・」
ぼやいて天井を見上げる。
エルガーが、ようやく笑いを引っ込めて息をついた。
「だがなぁ、エステルも頑張ってるというか・・・健気だと思うぞ。」
「え?」
少し意外な言葉に、表情を疑問符にして聞き返す。
エルガーは、ヨシュアに視線を合わせた。
「今回のカシウスの出張は、どれくらいだ?」
「え・・・3週間から一ヶ月くらいだと聞きましたけど。」
唐突な質問に、詰まりつつ答えると、エルガーはうんうん、と頷いた。
「なるほどなあ。
・・・・よし、ヨシュア、今日はその棚片付けたら上がれ。」
「え?」
何もかもが唐突で、話が全然見えてこない。
「なんでですか?」
聞き返すと、エルガーは少し呆れがまざったような・・・それでいて、親が子供を見るような表情をした。
「お前、気づいてなかったのか?
エステルのあれは、空元気って言うんだよ。」
「・・・あ・・・。」
そんなことは考えもしていなかった。
「今日くらいは一緒に居てやれ。エステルはあれで結構寂しがり屋だからな。」
空港での寂しげな顔が脳裏に過ぎる。確かに、ありえる・・・かもしれない。
「・・・はい。ありがとうございます。」
・・・それはバイトを休ませてもらえるほどのことなのか?
そんな疑問は残るが、素直に頭を下げる。
「礼言われる事じゃないさ。バイト代は差し引いとくし、こりゃただのおせっかいだ。」
エルガーはそう言って、ヨシュアの頭をがしがしと撫でた。
15分ほど後。
「それじゃ、すみませんけど失礼します。」
エプロンをたたんで返し、ヨシュアは武器屋を出た。
これで午後の予定は丸空きである。しかし、他に行くところも無く、エルガーの言葉もありとりあえず家へ向かう。
・・・今日くらいは一緒に、か・・・。
確かにカシウスを見送る時、エステルはいつも寂しそうな顔をしている・・・が、その時だけ、だ。
・・・切り替えが早いってだけじゃなかったのかなぁ・・・
しかし、付き合いの長いエルガーの言う事だから、多分その読みは間違っていないのだろう。
それでも・・・。
「あのエステルが、そんなに繊細かなあ・・・・??」
あまり物事を引きずるようには見えない。というより、引きずるタイプではないはずだ。
そんなことをぼんやりと考えながら街道を歩き、・・・気がつけば家に到着していた。
「ただいま。」
玄関のドアを開けようとして・・・開かない。
・・・あれ?
「・・・・・エステル?いないの?」
鍵を開け、中に入る。
家の中は出たときと同じ状態だった。
エステルが帰ってきた形跡も無い。
・・・まだ帰ってきてない?
・・・・どこいったんだろ。
そして、この場合自分はどうしたものなのか。
・・・バイト先に戻るのもなぁ・・・。
ひとまず自室に上がり、荷物を置く。
そのままなんとなく本棚に手を伸ばし、・・・ふと考えて、数冊取ってまた階下に下りる。
暇ならば、暇な時にしか出来ないことをすればいいわけだ。
ダイニングの椅子に陣取って、一冊手に取り、そのまま数ページほど読んだところで、外から足音が聞こえてきた。
本に栞を挟んで椅子から降りる。
「あれ?開いてる?」
エステルの声。どうやら鍵が掛かってない事に気がついたらしい。
「おかえり。どこいってたの?」
そう言ってドアを開けると、びっくりした表情のエステルと目が合った。
「ただいま・・・ヨシュアこそなんで?」
「なんか、仕事が早く終わったんだ。」
エルガーの言っていたことは、とりあえず黙っておく。
と、エステルの表情は、心から嬉しそうなそれに変化した。
「そっかー。とりあえず、お疲れ様!」
いや・・・嬉しそう、というより、安堵といった方が正しいのかもしれない。
ひまわりのようだった。
空港の帰りに見せていた顔とも、武器屋で見せていた顔とも全然違う、底抜けに明るい笑顔。
「・・・ヨシュア?」
不思議そうに声を掛けられて、はたと我に帰る。
見惚れていた・・・らしい。エステルに。
「・・・あ、・・・なに?」
慌てて平静を装って返事を返す。
「なんか、ぼーっとしてるわよ?」
「あ、・・・ちょっと考え事してて。」
「そうなの?
まぁ、いいけど・・・とりあえず荷物置いてくるわね。」
エステルは、手に持っていた袋を一つテーブルの上に置くと、足取り軽く階段を駆け上がっていく。
エルガーの言っていた事は本当に正しかった。
「僕も、まだまだだなぁ・・・」
人間観察はそれなりに出来ていると思っていたのだが・・・一番身近なエステルですらわかっていない。
・・・でも、まぁいいか。
とりあえず、一つはわかったことだ。そのうちまたわかることも増えるだろう。
先ほどまで陣取っていた椅子に座り、また本を手に取ったところで、どたばたと音をさせてエステルが降りてきた。
「ヨーシュア!」
顔を上げる・・・前に、おもむろに首が絞まる。
「・・・エステル・・・苦しい・・・。」
言うと、少し腕が緩まった。
「こんな晴れた日に読書とは、暗いわねー。
若いんだからもっとアクティブに動きなさいよ。」
覗き込む視線を華麗に避けて、ため息をつく。
「君はもっと頭を使うべきだと思うけど。」
「そんなこと言っちゃってー。
あんまり理屈っぽくても、女の子にはもてないわよー?」
エステルの指が頬をつつく。
「もてなくて結構。」
つつく指を押しのける。
「まーた寂しいわねえ。・・・よっと」
首にまわされていた腕が外れる。
その腕は、先ほどエステルがテーブルの上に置いた袋に伸び、それを掴んだ。
「それは何?」
「乙女のロマンよ。ヨシュアも食べる?」
袋の中身を見てみると、何のことはなくお菓子だった。
「ロマンって・・・もしかして、それ買ってきてたから遅くなったとか?」
「ううん、アイス一個食べてきたから遅く・・・ってそんなことどうでもいいじゃない。」
「買い食いばっかりしてると太るよ?」
やっぱり、心配するほどのこともなかったんじゃないだろうか・・・そんなことが頭を過ぎる。
「買い食いは乙女のロマンよ。それに、その分動くから大丈夫大丈夫。」
「動くって・・・。」
呆れ顔も意に介さず、エステルはえへん、と胸を張った。
「私はアクティヴだもん。
これ全部食べちゃったところで、森の池の主と闘ったりすれば差し引きゼロよ。」
「はぁ・・・。」
呆れ声が口をつく。
「あ!」
と、エステルが、ポン、と手を叩いた。
「どうしたの?」
「釣りよ、釣り!これ持って釣りってよくない?!まだ時間もあるし。
いやー、私ってば頭いいー♪」
エステルは一人明るく舞い上がる。
「あぁ・・・」
相槌を打つと、ポン、と肩に手を置かれた。
「ヨシュアも来るよね?」
「え。」
振り返って見たエステルの瞳は、小さな子供同様期待でキラキラと輝いている。
「暇でしょ?」
「うん、まぁ・・・わかった。」
・・・まぁ、いいか。
今日はエステルの相手をしてやれ、と言われていたわけだし。
子供のような瞳で見つめられて否を言えるものでもない。
「よーっし、決定!早速準備しなくっちゃー。」
エステルはそう言って、ばたばたと駆け上がっていく。
「エステル、部屋の中を走らないの。」
どうせ聞いていないだろうと思いつつも声を掛けて、持ってきていた本をまとめ、自室に上がる。
・・・まったく、嵐みたいだ。
それでも、まぁいい、と思えた。
あのキラキラと輝く表情を見ていると、確かに休ませてもらえたことに感謝できる。心の底から。
それに、エステルが先ほどの・・・見惚れてしまったほどの笑顔でいてくれるなら、釣りに付き合うくらいどうという事も無い。
・・・今日の夕食は魚かな。
そんなことを考えながら、自分の釣具を持つ。
階下に戻ると、エステルが開け放った戸口の前で待ちかねていた。
「さーぁ、行くわよ。お菓子と主が私たちを待っているわ!」
そういってエステルは戸口を出る。
「気合入ってるね。」
それに続いて家から出て、鍵を閉める。
「モチのロンよ!今日はお菓子もあるし、ヨシュアも珍しくいるし。負ける気がしないわ。」
エステルはそう言って笑顔でガッツポーズを決める。
「珍しいって・・・そういうものなのかな。」
「こういうのは気分ってやつよ。
さぁ、いざ行かん、戦いの園へ!」
嬉々としてスキップせんばかりの勢いで、エステルはヨシュアの手を取って駆け出した。
「うわっ・・・ちょ、いきなり引っ張らないでよ。」
崩れた体勢を慌てて整えて、釣具を持ち直す。
「あ、ゴメンゴメン。」
エステルは立ち止まると、照れ笑いでこちらを振り返る。
「もういい?」
なんとなく気持ちが高揚するのは・・・これも気分なのだろうか。
・・・だけどこれは、僕がちゃんと見ておかないと。
エステルがはしゃぎすぎて池に落ちないように。
「うん、行こうか。」
ヨシュアは心中小さくそんな決意を固めると、エステルの手を握りなおしたのだった。
コレの前に書いたのが、自分の限界ギリギリまで甘くて、軽く調子崩せそうだった上に、ここ最近この手のほのぼのしたのってそういえば書いてないなあ・・・なんて思って、気が向いたのと軽いリハビリがてらでちょっと。
そもそも、志方あきこさんの「ラヂオ予報」延々聴いてた時に、
階段の途中 君のシャツ握って 飛行機雲を見ていた
寂しがりのふたり 遠回りをして帰ろう
・・・・という一節で書く気になったというのに、なんかこう・・・ずれた?
エステルはきっと凄い寂しがりやだと思います。ヨシュアも相当だけど。だからいつも二人なのかな、とか。
けど、二人ともそこまで乙女じゃないみたいで、私が書くと、すばらしい勢いで漫才が始まってしまいます。
でも、きっと私はそんな二人が好きなんだろうなあ。