怪しげな笑いが、自分が寝る予定のベッドの中から聞こえてくる。選択肢は蹴倒すか無視するか。彼は後者を選んだ。
「あぁん、冷たいんだ・か・ら・あ。」
甘ったるい声・・・を真似した男の声。背筋に寒気が走る。
・・・相手にするな。相手にしたら付け上がる・・・!!
振り返りもせず、彼はもう片方のベッドに手を掛ける。
「おや、ボクと褥を共にしたいのかい?それならば喜んでお相手しようっ♪」
布団がずれる音。背後に気配が近づく。
「寝るならそっちで黙って寝ろ!」
「あうっ」
振り返りざまに一撃。肩ににじり寄っていた手が元来た方向に戻っていく。
「今度やったら明日の朝日は拝めないと思え。」
変態に背を向けてもう一度、空のベッドに手を掛ける。
「・・・もう、冷たいんだからぁ。」
無視。
「でも、そう言うところも魅力だなあ?」
無心。視線なんて知らない。アンナ生物などいない。背筋を這うような鳥肌も気にしない。
「ティータ君もそんなところに惚れたのかなー?」
「・・・・・」
「おや?動きが止まったねえ。図星かなー?それとも違ったのかなー?」
肩越しに後ろを振り向けば、ベッドに腰掛けた変態ことオリビエが腹立たしいぐらい楽しげにこちらを眺めている。
「この間の夜、何をしていたのか気になっていたんだよねえ。」
にやにやにや。
「幸い、今この場にはボクと君の二人だけ・・・さぁ、思う存分惚気たまえっ♪」
ささ、こっちに座って・・・そんな風に誘導する手を張り飛ばし、彼は空いた方のベッドにもぐりこんだ。
「・・・・付き合ってられるか。俺は寝る。」
邪魔するな、との気持ちを精一杯突きつけたつもりだったが、相手は全然意に介さなかったらしい。
「イヤン、アガットくんのケチ。」
・・・相手をしたらだめだ。
「でも・・・そう言うところもそそるなあ」
立ち上がる気配。こちらに近寄ってくる。
アガットは、ベッドの反対側に降りると、自分の荷物をさっと手に持った。
「おや、どうしたんだい?」
「あの神父かジンの旦那と部屋を替わってもらう。」
自らの安眠のために。
そう言って、すたすたと部屋を出て行く。
バンっと扉を閉めてジンたちの部屋の方を向く・・・と、やたら見覚えのある長い金髪がなびいて外に消えていった。
「!?」
金髪がすり抜けた扉がぱたんと音を立てて閉まる。
子供はもう寝る時間だ。おまけにここ最近結社だ魔物だ竜だと物騒である。夜に出歩くのは危険以外の何物でもない。見過ごすわけにはいかなかった。
追いかけてドアを開ける。
しかし、そこにはいない。階下を見回すと、月の光をはね返したような髪が湖の方に駆けていった。
「こら、待て!」
どこまで危なっかしいのか。声を掛けてそちらに走ると、金髪の主ことティータは、驚いたようにこちらを振り向く。
「あ、アガットさん?どうしたんですか?」
パジャマに靴の、出てきただけ・・・という格好で、少しも悪びれていない。
「・・・何やってたんだ?」
「あ、えっと、ちょっと風にあたろうかなって思って。」
返答はひたすらにマイペースだった。
「お前な、今何時だと思ってる?」
「えっと・・・さっき時計見たときは9時過ぎ・・・でしたけど。」
「そういう問題じゃねえっ!」
声が荒くなった。
ティータが身をすくめる。
「この結社だ魔物だと物騒な時に!しかも夜だぞ!一人で外に出るな!危ねぇだろうがっ!」
一息に怒鳴る。全くもって心臓に悪い。
少しして、ティータがこちらを見上げた。
「・・・・・・その・・・ごめんなさい・・・。」
反省の色は見える。
「・・・・ったく、少しは状況を考えろ。」
口調を緩めると、ティータは少しだけ笑って、言った。
「・・・でも、今はアガットさん居るから、一人じゃないですよね。ちょっと風に当たってていいですか?」
「なっ・・・」
返答を聞かず、ティータは桟橋の方へひょいひょいと歩いていく。
「お、おいっ、落ちるなよ。」
少し慌てて追いかける。今夜は追いかけてばかりだ。
「・・・っと。」
ティータは、履いていた靴を脱ぐと、桟橋にぺたりと腰を下ろした。
「なるべくさっさと戻るぞ。」
「はーい。」
ぱしゃぱしゃと、軽く水を足でかき混ぜてそう返事する。さっさと戻るつもりはないらしい。
「水、気持ち良いですよ。」
ため息一つついて、その傍にかがみこむ。
「・・・風に当たるだけならテラスで十分だったんじゃねえのか?」
言うと、ティータは首を振った。
「私は・・・ちょっとだけ・・・・。」
一人になりたかったんです、と聞こえるか聞こえないかの声が風に溶ける。
「なんでまた・・・」
「・・・・・・・・。
エステルおねえちゃんが・・・で、シェラさんも・・・・・・・」
声がどんどん聞こえなくなっていく。どうやら部屋で何かあった、らしい。
しばし沈黙。
ティータは、沈黙を振り払うように首を振った。
「それに、そう言うアガットさんも」
ティータは、軽く後ろを向く。
「外に出るだけなのに、何で荷物全部持ってきてるんですか?」
視線は、つい持ったままだった荷物一式。武器・着替え・装備他である。
「・・・ジンか神父に部屋変わってもらうつもりだったんだよ。」
「?なんでですか?」
「・・・・・・・・・・どーだっていいだろ。」
あの変態がいるとゆっくり眠れねぇんだよ・・・!!・・・なんてことは、ティータの前では少々言い難かった。
「・・・じゃぁ、聞きません。」
ふい、と湖の方を向く。
「・・・・あー、そうしてくれ。」
同室の変態を忘れ去るように、手元に転がっている石を湖に放り込む。なんとなくつけた回転のせいか、石は二段ほど水を切って湖に沈んだ。
「わ、飛びましたね。」
ティータが声を上げる。
「へ?何がだ?」
「水の上をぴょんぴょーんって。アガットさん凄いです。」
振り向いたティータは、興奮と尊敬が入り混じったような顔をしていた。
「はあ?これくらいなら誰だって出来るだろ。」
別に特別な事をしたわけではない。
「誰でも・・・?」
ティータが、手元に転がっていた石を拾い上げた。
「えいっ」
ぽちゃん。水音と共に、一直線に石は湖に沈んでいく。
もう一度。やっぱり同じ結果。もう一度、上から投げつけているのに跳ぶわけも無い・・・同じ結果。
「あのな。」
もう一度、石を投げる体勢に入ったところで、アガットはティータの手をひょい、と掴んだ。
「っ?」
ティータが振り向く。
「もしかして、やった事ねぇのか?」
「はい、初めて見たんです。これ、難しいんですね。」
こくり、とうなづくと、目線は掴んだ手の方に動く。
「・・・初めて・・・・」
環境の差だろうか。それにしても冗談のような事である。しかし、それでなんとなく納得がいった。
大体水切りだって難しいわけではない。ただ、ティータのやり方が間違っているだけだ。
「大体、そんなんで跳ぶ訳ねぇんだ。
・・・ほら、ちょっと立ってみろ。」
「あ、は、はい。」
一緒になって立ち上がる。靴を履いたティータにあわせて、身体を少し屈める。
ちょっと力抜いてろ、と、手を取って、右下へ。
体の右から。少し勢いをつけてサイドスロー。回転をつけて石を水に滑らせる。緩んだ手から石が離れた。
ちゃ・ちゃん。
軌道は左に逸れたものの、石はどうにか一度ジャンプして湖の中に消える。
「凄い凄い。跳びましたね!」
ティータがはしゃいで振り返った。
「・・・ま、二人でやるならこんなもんだろうな。」
落ちてきた髪をかき上げながら、答える。
「アガットさん、上手なんですね。これ、どこで覚えたんですか?」
ティータがきらきらとした表情でこちらを見上げた。
「どこって・・・村だよ。ガキん時、村の水場でよくやってたからな。」
それこそ、ティータが生まれるよりも前の話だ。子供らで集まって、跳ぶ段数や距離を競ったりしていた。他も水泳に興じたり、魚釣りをしたり・・・今となっては遠い記憶でしかない。
「へえ・・・そんな場所があったんですね。楽しそうです。」
そういえば確かに、ツァイスの町にはそういう場所は無かった。
「あー・・・そうか。ツァイスにはそんなん無いからな。」
それに、ティータはこの年で研究所に通っている。一緒になって遊ぶような友達もそうそう居なかったのだろう。そう思うと、隣のちっこいティータが少し気の毒にも思える。
「ま、水場くらい、そのうちまた行く機会もあるだろ。」
ぽん、と頭を撫でると、ティータは小さく笑った。
「今度見かけたらやってみます。」
言って、もう一度かがんで石を拾う。立つ。右から、サイドスローで・・・。
「水の中に落ちないようにな。」
「そんなことしませんよ。」
言いながら投げた石は、回転こそついていたらしいが、跳ねることなく湖に沈んだ。飛沫が月の光を反射する。
「むぅぅ・・・」
石の波紋を見ながらティータがうなる。
「投げるんじゃねぇ。滑らせんだよ。」
手近な石を拾って一投。月の光の中、石は六段ほど跳ねて小さく飛沫を散らす。
「ふわぁ・・・凄い・・・。」
「・・・だぁら、これくらい誰だって出来るって。」
パタパタと手を振る。
「じゃあ、もう一回・・・」
言って、ティータが小石を手に握る。
「右回転・・・滑らせるように・・・手首・・・位置は・・・」
なにやらぶつぶつつぶやいて、身体を少しひねって・・・
「えいっ」
右手から滑るように出て行った石は、月の光のなかで一つ跳ねた。小さな水音があたりに響く。
「やったぁ!見てましたか?アガットさん!」
ティータが石より元気よく飛び跳ねる。浮いた長い髪が、腕をくすぐった。
「ああ。初めてにしてはやるじゃねぇか。」
とはいえ、ここで跳ねられると湖に落ちそうで、危なっかしいことこの上ない。手近にあった頭を少し引き寄せる。
「ここで跳ねるな。危ねーだろうが。」
「あ・・・あ、はい。」
一瞬固まってそう答える。
「えと、もう一回・・・」
もう一度石を拾おうとするのを押しとどめる。
「今日はこれ位にしとけ。」
「でも・・・」
見上げる目線にため息を一つ。
「もう遅いんだ。部屋戻るぞ。」
仰いだ宿の二階、自分たちが泊まっているところは、まだ明かりがついている。
「早く行かないと閉め出されかねないしな。」
荷物を持って、肩に手を掛けると、ティータも観念したように宿の方を向いた。
・・・そういえば。
二人で歩きつつ、ふと思う。
・・・そもそもだ。ティータが外に出てくるのを、エステルたちは・・・いや、エステルはともかくシェラザードは何故止めなかったのだろうか。
慌てて追いかけたから失念していたが、冷静になれば何かおかしい。
「あの、アガットさん。」
宿に入る前に、ふいに声を掛けられた。
「なんだ?」
「・・・あの、その・・・部屋まで・・・」
ティータは言いづらそうにこちらを見上げる。
「?」
疑問符を浮かべているうちに、宿の扉が勝手に開いた。
「ダメよティータっ!」
「!?」
思わず武器を探したのは完全に脊髄反射のなせる業だ。
「!?・・・エステルおねえちゃん!?」
「どんなに一緒にいたくたって、ティータにはまだ越えちゃいけない一線ってものがあるわ!」
さっぱり訳がわからない。ティータはアガットの隣で半分固まっている。
「エステル?何でここに・・・」
いるんだ、という言葉は途中で消えた。かわりに何か怒りとも怒りともつかないものが沸きあがる。
エステルの隣にはオリビエが、もう片方の隣にはシェラザード、そしてあの神父が。悪戯がばれたような表情でこちらを見ている。窓にばっちりくっついていたのも、見ただけで判った。おまけに奥の方には姫殿下まで見える。
出迎えに来ていた、ようには、さすがに、見えな・・・かった。
「・・・・お前ら一体何してた・・・?」
エステルに、オリビエに、神父に・・・視線を移すと、顔を引きつらせる。
「ティータが出て行っちゃったから心配で・・・」
心配だったら追えばよかったのに、なぜこんなところで他人の会話を立ち聞きしていたのか。
「あ、アガット君が出て行ッタカラ心配デ・・・」
間違っても同室の変態に心配されるいわれは無い。
「お、オリビエさんが『面白いものが見れる』いうからつい・・・」
「ケビン神父っ!君はボクを殺す気かいっ!?」
「俺かて命は惜しいんやっ!潔く犠牲に・・・」
「酷いわっ!この薄情モノっ!」
見苦しく争う男二人をにらみつけると、二人はひっ・・・ともなんともいえない声と共に黙った。
「うーん、ほほえましいものを見せてもらったわねえ。」
一人にっこりと笑うシェラザード。コレが一番の強敵である。
「どういうつも・・・」
「タイミング計ってたんだけど、行く前にあなた達が帰ってきちゃったのよ。」
さらりといった言葉には、半分くらい嘘のにおいがした。
「よかったわね、・・・って、ふふふ、もうからかわないから安心しなさいな。」
アガットをよそに、シェラザードは固まっているティータにそう言って笑いかける。
「また部屋を飛び出されたらかなわないものね。」
ティータの頭をそう言って撫でると、ティータは、やっと体の緊張を解いた。
「ティータちゃん、ごめんなさいね。」
クローゼがそう言って、謝る。
「ううん、・・・もういいです。」
ティータは、首を振って小さく笑った。
「私たちの『妹』の面倒見てくれて、どうもありがとう、『お兄ちゃん』。」
くすくすくす。
シェラザードの笑顔は思い切り余裕である。
「じゃ、和解したところでもうそろそろ部屋に戻りましょうか。おやすみなさい。」
そう言ってさっと踵を返す。エステルとクローゼもそそくさとそれに倣う。ティータも慌てたようにこちらに向き直った。
「あの、アガットさん。今日はありがとうございました。
えっと、おやすみなさい。また明日・・・。」
ぺこり。頭を下げて、そのままシェラザードたちについて行く。向こうの方はなにやら色々片付いたらしい。自分が文句を言う隙も与えずに去って行く手並みは鮮やかとしか言いようがなかった。
こっちは・・・。
・・・こちらをうかがう男二人を見ていると、どうやったら効率的に袋叩きにできるかを考えてしまう。やってもいいのだが、こんなのに本気になるのも見苦しい。出てきたのは簡潔な質問だった。
「ジンの旦那はどこにいる?」
「ジ・・・ジンなら、部屋にいるはずだよ。」
どうやら、このメンバーの中においてもジンだけはまともで居てくれたらしい。
さすがA級遊撃士・・・と、なんとなく感動しながら、アガットは荷物を持ち直した。
「どこに行くんや?」
神父の問いには振り向かずに答える。
「寝る。そこの神父はオリビエと一緒に寝てくれ。俺はジンの部屋に行く。」
すたすたすた。空気の固まった室内を抜けて、階段を上がる。
ノックをすると、重量感のある声が出迎えた。
「邪魔するぞ。」
「ああ、なんだアガットか。ケビン神父はどうした?」
ベッドに腰掛けて酒杯を傾けていたらしいジンがこちらに向き直る。
「部屋を変わったんだ。こっち使ってもいいか?」
「ああ。なんだ、それで荷物を持ってたのか。」
「そういうこった。」
荷物を置いて、ベッドに腰掛ける。やたらに変な事を言ってこないジンがありがたかった。
「お前も飲むか?グラスはそっちにあるが・・・」
「ああ、もらおうか。」
琥珀の液体がグラスに注がれる。
「悪いな。」
グラスを合わせる軽い音。飲んだ酒は少し強かった。
「そういえば、窓から見てたんだが」
おもむろにジンが口を開く。
「石を投げるのにかなり無駄な力が入ってなかったか?」
「!」
口の含んだ酒を危うく吹くところだった。
「緊張してたのかもしれんが、もう少し軽く投げたほうが綺麗に跳ぶぞ。」
マイペースで酒を飲みながらジンはそう言う。
まさかジンまで。
・・・このメンバーにはまともな奴はいないのか!?
がっくりと肩を落すアガットには構わず、ジンは杯をサイドテーブルに置く。
「・・・今日は遅い。もう寝るかな。明かり消していいか?」
「ああ・・・。」
グラスをあおってサイドテーブルに置くと、明かりが消えた。
「お休み。」
「・・・お休み。」
さっきの少量の酒ででも酔って寝てしまいたい気分だったアガットは、ベッドにもぐりこむと同時に望みどおり眠りに落ちて行ったのだった。
さて、この話に素敵なイラストつきましたです。髪をかきあげて、肩に手置いて、・・・絵にしたら結構くっついてて可愛かった・・・と思わせてくださいました。
こちらに掲載させて頂いてるのは縮小版です。原寸の素敵なのはtresureにてご覧下さい。
みゅーにゅさん、ありがとうございました。