そんな中。
「ねえ、九龍クンって、前は何て呼ばれてたの?」
八千穂が隣の席から身を乗り出してきた。
「へ?」
いきなりすぎて、つい間の抜けた声が出る。
「あだ名。前はなんて呼ばれてたの?」
もう一度言われて、葉佩は、ああ、と手を打った。
「ああ、あだ名。ええっと・・・なんか色々呼ばれてた。」
これでも色々な国を回っているのだ。日本人以外が相手になると適当に呼ばれることも多かった。数多すぎていちいち覚えていないのだが、呼ばれればわかる、程度の認識だ。
「例えば?」
「んー・・・名前以外で一番多かったのは、9かな?」
「きゅう?」
八千穂が不思議そうな顔をした。
「ほら、俺の名前九つの龍でくろうだから。数字だけでナインとかきゅうとか呼ばれてた。」
実際のところは、ハンターIDが0999だったもんだから、というのが一番でかいのだが、コレは黙っておく。
「9かー。きゅうちゃん、とか?」
「ははは、さすがにそう呼ばれたことはないな。俺には可愛い過ぎじゃね?」
響きだけとれば、どこかのマラソン選手の愛称とそっくりだ。
「そうなの?可愛いと思うけどな、きゅうちゃん、て。・・・ね、きゅうちゃん?」
そう言って上目遣いで見上げられると、条件反射どころじゃなく胸がときめく。
「や、八千穂が言えば・・・その。」
あわあわしていると、八千穂がぱっと笑った。
「あっははは、照れてる照れてる!可愛いー!」
「あー、からかっただろ?!」
むくれると、八千穂はくすくすと笑いながら言った。
「別にからかったわけじゃないよ。でも、可愛いんだもん。」
そして一呼吸おいてにっこり笑った。
「・・・よし、決めた。
私、今度から九龍クンのこと、九チャンって呼ぶね。」
「へ!?」
「いや?」
少ししゅんとした顔でそのセリフは、葉佩にとっては反則だった。
「あ、いや、その・・・なんか照れる。」
「そのうち慣れるんじゃない?」
にっこり笑われただけでその気になってしまうのは、完全に恋のなせる業だった。
「そうか?」
「きっとそうだよ。んじゃ、あらためて・・・よろしくね、九チャン。」
「あ、うん。よろしく、八千・・・ええと、俺もやっちーとか呼んだ方がいい?」
今度は、八千穂が目を丸くする番だった。
しかし、それは一瞬で大輪のひまわりのような笑顔になる。
「うん、やっちーって呼んで!」
喜んでくれているのがよくわかって、葉佩の頬も緩んだ。
「んじゃ、よろしくね、やっちー。」
「よろしくね、九チャン。」
転校生葉佩九龍18才、超幸せな時間だった。
*****
授業終了のチャイムの音が響いた。
いつもどおり、2時間目休み時間終わりから出勤もとい登校して、なんとなくうだうだと授業を聞き流していたのだが、どうにかようやく昼休みになったらしい。教室の隅の席で背を伸ばしていると、《転校生》こと葉佩が、何も考えてなさそうな笑顔で駆け寄ってきた。
「皆守おはよー。俺今から購買行くけど、お前どうする?何か買ってくるか?」
「ああ、葉佩。珍しく気が効くな。」
「『珍しく』は余計だ。まあ、買い物行くからついでかな?」
ひらりと見せたメモは、八千穂の字と葉佩の字で昼食の買い物メモが書いてあった。授業中にでも相談していたのか、雑談めいた文と落書きの跡も見える。
「なるほどな。んじゃ、カレーパンとコーヒーで。」
「カレーパンとコーヒーね。了解ー。」
大声で復唱すると、それじゃ、と踵を返して走り去っていく。「あとで金払えよー」といいながら。
「皆守クーン!」
バカの代表をつい見送ってしまったところで、今度は教室内から皆守を呼ぶ声がした。顔だけそちらを向ける。手を振っていた八千穂と目が合った途端、八千穂はこちらに駆け寄ってきた。
「お昼一緒食べよ!今九チャンが買いに行ってるから。」
「?・・・きゅうちゃんってのは、葉佩のことか?」
聞き慣れない人名に疑問符を返すと、八千穂は満面の笑みで頷いた。
「うん。皆守クンも頼んだんでしょ?カレーパンとコーヒー。聞こえてたよ。」
「ああ。まあ、あの大声じゃな。」
きっと、教室中の人間が彼の昼食メニューを知ったに違いない。
「しかし、珍しい事もあるもんだ。自分からパシりに行くとはな。」
「九チャン、今日は機嫌良いんだ。昨日の夜、九チャンがずーっとチャレンジしてたツボの鍵がやっと開いてさ、大喜びしてたから。」
くすくす笑う八千穂を見て、なんとなく合点が行った。
「ああ、アレか・・・。」
遺跡に下りると一度はそこに行くので、大体の場所までわかる。あの執着ぶりからすれば、さぞや喜んだ事だろう。
「中身がね、ひらひらーってした着物みたいなのでね、それ嬉しそうに装備してた九チャン、見ものだったんだよー。」
「見ものというより、変態だな。」
八千穂が噴出す。
「皆守クンそれヒドいよー。九チャンがどれだけ一生懸命だったか知ってるでしょ?」
おそらく一番多く探索に付き合ってたのだから、そのことは一応認識はしている。
「それとこれとは話が別だろが。大体あんなのに一生懸命になれるなんて、理解に苦しむぜ。」
理解はしていないしする気も無いが。
「その割に、九チャンと一番多く探索行ってるのって皆守クンじゃない?」
「あのバカ、俺が寝てても叩き起こしに来んだよ。寝直すのも面倒だから付き合ってやってるだけだ。」
無愛想に答えても、八千穂はさらりと受け流して手を打つ。
「ああ、だからいつも眠そうなんだ?」
「あの時間は、俺は寝ているべきなんだ。」
とはいえ、戦闘のたびにこっそり背中に隠れに来るバカハンターを知っているから、探索に行かないと行かないで少し不安だったりも・・・しないわけではない気がしないでもない。多分気のせいだろうが。大体、無断で他人を盾に使うあたり、人としてどうなのだろうか。
「でも断らないんだ?結構優しいんだねー、皆守クンってば。」
「な。」
反論する前に八千穂が続ける。
「九チャンが頼りにするわけだねー。あーもう、私も頼っちゃおうか・・・あ、九チャーン!」
「ん、九チャン?」
自分の肩越しに呼びかける八千穂につられ、一緒になって振り向く。
そして、こわばった表情であっけに取られて立ち尽くす葉佩の顔を見て、一瞬前の自分の発言に気がついた。しまったと思っても、もう遅い。
「ただいま、やっちー。
で・・・・ええっと、・・・・・・・・・・・・・こーちゃん?でいいの?この場合?」
すぐにニヤリと笑ってこちらを指す。
「なんでそうなる。」
「・・・まさかニックネームで呼んでくれるとは思わなかったからさ、こーちゃん。」
十数年前に呼ばれたことがあったかどうか、な名前を呼ばれても嬉しくは無い。
「そのふざけた呼び方をやめろ。」
「可愛いと思うんだけどなあ、こーちゃん。」
なあ、と葉佩が八千穂に振ると、八千穂は笑いながら頷いた。
「大丈夫、そのうち慣れるよ、こーちゃん。」
「慣れるか!」
どす黒く爽やかな笑顔に、渾身のツッコミは効かなかった。さわやかに無かった事にして、葉佩はパンを配りだす。
「ほい、やっちーの。」
「ありがと、九チャン。」
礼を言われて照れた顔で笑っていた葉佩は、今度はにっこり笑ってカレーパンをこちらに差し出す。
「ほら、これはこーちゃんの。」
これはきっと嫌がらせだ。
「・・・・・・・・・・・・・・『ありがと、九チャン』とでも言えば満足か?」
憮然として言うと、葉佩の顔が一瞬引きつった。
「ん、満足かも。」
直後に、にっこりと爽やかな笑顔で笑っても、その一瞬を見逃すはずもない。違和感ありすぎだよ怖いよ!・・・とあの一瞬の顔は語っていた。
「ほう・・・ありがとな、九ちゃん。」
だから、この言葉は100%嫌がらせだ。
「どういたしまして、こーちゃん。」
ひきつりつつ、八千穂の手前か笑顔を崩さない葉佩は、それこそ見ものだった。
「財布を寮に置いて来たんで、金は後でいいな、九ちゃん?」
「わかった、あとでもらいにいくよ、こーちゃん。」
「ああ、忘れずに取りに来いよ、九ちゃん。」
「じゃあ、放課後にそっちにいくよ、こーちゃん」
言葉はフレンドリーだが、お互いに目は笑っていない。笑えるはずも無かった。
お互いに不気味なだけだったから。
「なんか、すっかり仲良しさんだね。」
近くの椅子に陣取った八千穂が、あきれたようにジュースをすする。
「うん、俺たち友達だからー。ね、こーちゃん。」
にっこり笑って葉佩は背中を叩いてくる。目は全然笑っていない。
「あーそうだな。いい加減縁切りたくなってきたがな。」
その言葉で、葉佩から毒気が抜けた。
「え、それは困る。俺お前が居ないと生きていけないもん。」
「そうか。なんなら俺が手を下してやるぞ。」
「え、それだけはご勘弁をっ!」
縋りつく葉佩を払うと、八千穂はくすくすと笑う。
「仲良しっていうより、漫才コンビだね。」
「やっちーも入る?」
復活した葉佩が八千穂に手を伸ばす。
「あはははっ、それ面白そうっ!」
「んじゃあ、俺ツッコミでー」
「えー、九チャンどっちかっていうとボケじゃない?」
どっちかといわなくてもボケだろう。
「そーか?」
自覚無しらしい。
皆守は、葉佩・・・九ちゃんなるものの持ってきたカレーパンの袋を高い音を立てて開いた。音に反応して二人が振り返る。
「バカな話ばっかりしてないでさっさと食え。昼休み終わっちまうぞ。」
カレーパンをかじると、葉佩と八千穂は顔を見合わせた。
「ツッコミだね。」
「ツッコミだな。」
「照れてるのかな。」
「照れてるん」
開けてない缶コーヒーを投げつける。それは狙い通り葉佩の頭を直撃した。
言葉にならない声をあげる葉佩を見つつ、皆守は思った。
ったく、なんで俺はこんなバカに付き合ってるんだ・・・と。
後日。
どうやらあのニックネームは定着してしまったらしい。
最近では朱堂やトトも九ちゃんと呼ぶようになった。当の九ちゃんもまんざらではない様子だ。
そして、こちらも。
「こーちゃーん、探索いこー!」
「ちょっと待ってろ九ちゃん、今行く。」
呼び名というのは、慣れればどうでもよくなるもんなんだな、ということを悟った皆守なのだった。
が。最初に「九ちゃん」と皆守に呼ばれたとき、達成感と同時になんともいえない違和感を感じたのを覚えています。違和感ありすぎて、もはや嫌がらせかと・・・それならば、嫌がらせには嫌がらせで応えてやらねば男がすたる!・・・というわけで、こうなりました。
最初はうっかりだったり嫌がらせだったりすると良いな。そのうち慣れてきて、惰性で定着してしまうんだ多分。