古き友

Sub:へろへろです。
やっと仕事終わりました。なんとか深夜バスには乗れそうです。
帰りは3時前になると思うので、先に寝ててください。


「うわぁ……。おつかれさまだなあ。」
小さな東京からのメールを見た埼玉は、思わず息をついた。
時刻は既に一時を回っている。夕飯は用意して待ってはいたのだが、この遅さならきっと食事よりさきに睡眠だろう。毎度の事ながら本当に過酷だ。
先に寝ていいとのメールだったが、なんとなく気が引けた。ふぅむ、と考えて、返信画面を呼び出す。
「お疲れ様です。ふとんは敷いとくので、気をつけて帰って来てください」
手早くメールをうって、ひとまずふとんを準備に掛かる。5分も掛からずセットすると、今度は携帯機を手に取った。
やりかけのゲームを進めていれば、恐らく小さな東京が戻ってくるまでのそこ二時間ほどは余裕で過ぎるはずなのだ。
かくして、苦戦していたマップに挑んでいるうちに時はたち、ステージクリアの頃には、時計は二時半に差し掛かるところまで進んでいた。
ステージクリアの文字が表示されて、集中していた携帯機から目を上げる。
耳にはゲームのBGM以外の音が、目にもゲーム画面以外のものが映りだす。目は時計の長針が6の文字を指しているのを捉え、耳は外の雨音を捉えはじめた。
音はバタバタザアザアと中々に賑やかだ。ゲームを始める前は降っていなかったし、ゲーム中も気付かなかったのだが、いつから降りだしたのだろう。
カーテンを開けて見ると、果たして外はいい感じに土砂降りになっていた。
「……あちゃあ、小さい東京さん、帰ってこれるかな。」
多分カサは持っていないはずである。今日は普通に晴れていたし、そもそもこんな時間からの雨を想定して準備はしない。
もう一度時計を見る。今からカサを持ってバス停にいけば、小さな東京が到着するまでには間に合いそうだった。
ふむ、と考えて、立ち上がる。着ていたパジャマを脱いで、なんとか外に出れる格好にし、鍵を引っ張り出して長靴を履いた。
傘を二つ持って準備終了。いざ雨の中へ出発である。
水溜りに踏み込んだりしながら、雨の中を歩く。街頭の明かりも少し心もとなくて、足元も雨水と灯りでよく見えない。
これは迎えにきて正解だったかな、と一人ごちる。小さな東京も、深夜に出歩くのは慣れているとはいえ、こんな日に一人で帰ってくるのは辛いだろう。
10分もあるけばバス停だ。
流石に人通りのないバス停で、やれやれと屋根の下に避難する。尤も、傍にあるベンチは雨でびしょびしょで座れない。風向きのせいで雨も吹き込んでくるので、傘も差しっぱなしにするしかなかった。
はてさて、小さな東京はいつ帰ってくるのだろう。時間としては多分15分も待たないで帰ってくるはず、なのだが。
ふう、と真っ黒な空を見る。若干大きめの雨粒は、灯りに反射して所々きらりと光っていた。アスファルトにたまった水も、いい具合に灯りを反射して艶めいている。
「ふぁ……」
傘を差したまま、口に手を当て目を落とす。
……多少眠気は覚めているのだが、それでもやっぱり眠い、かもしれない。時間を考えれば当然なのだが。
道の向こうにバスの気配は無い。無いものは無いが、待つしかない。そう開き直った時。

水溜りに、何か見知ったものが見えた。

それは、毛皮に包まれていてもふもふっと大きい。多分自分の背丈の1.5倍くらいはある。
丸くて大きな目にはなんとなく愛嬌があり、何かに似ているようで何にも似ていない。猫にもネズミにも犬にも。

普通に表現すればお化けである。
それなのに見知っていたのは、昔に会った事があったからだ。
もう数十年単位で見ていない、そのお化け。自分がまだまだ田舎で、田んぼに畑に鎮守の森があった頃にはよく出てきていたものだが、こんな都会になった自分のところにも出てくるものなのか。
ちら、と横目で見ると、何の気配も無いそれも、ちら、とこちらを見下ろした。
懐かしい視線とパッチリ目が合って、思わず頬が緩む。
「久しぶり。もう居なくなったかと思ってた。」
お化けはゆらりとゆらいで、ぶふう、と息を吐き出した。体が揺れると濡れた体から飛沫も飛ぶ。濡れ鼠のおばけは、お前がどれだけ変わっても、自分はまだ居るのだ、と主張している、らしい。
「そうだね、僕は結構変わっちゃった。」
きっと、お化けにとっては住み難い場になってしまったことだろう。現状も悪くないので後悔はないのだが、少し寂しい気持ちはいつだって胸の奥に澱のようにたまっている。
お化けは、またかしいでゆらいで、ふう、と息をついた。おまえは会うたびに変わっている、と。その気持ちがするりと伝わってくる。
「それもそうか。……でもね、また会えて嬉しいよ。」
それが大事だよね、とおばけに呟く。おばけは、そうだ、というように、もふもふの腹をたぷんと波打たせ、また小さな飛沫を跳ねさせた。
きっと今このおばけが見える人はそう居ない。でも、おばけは飄々とマイペースに気まぐれに、昔と変わらぬ形を保って、ふらりと出てくる。昔からの住人のはずなのに、県を名乗る自分よりもよっぽど超然としている、不思議な存在だった。
「今日は何をしに」
出てきたの、と聞こうとして飲み込んだ。
聞くことではない。この存在は出てきたかったから出てきただけなのだ。
「おでかけもいいけど、今日出歩くと風邪ひいちゃうよ。」
差したままの傘を差しかける。
ぐに、と身体を傾けたおばけは、びよん、と身体を戻しながら傘を受け取った。
「うんうん、似合ってるよ。」
こちらを振り向いたおばけのおなかをぽん、とたたく。濡れそぼった毛皮がひやりと冷たかった。
もう一つ持ってきていた傘を差す。横を見ると、おばけは自分と全く同じポーズで傘を差していた。
ひょい、と反対側に傘を向けると、おばけも同じように傘を向ける。
自分が上に手を伸ばすと、おばけの傘も上に伸び、屋根にどん、とぶつかった。
びっくりしたようにこちらをみて、また自分と同じように傘を肩に置く。
その様子がなんだかおかしい。くすくすと笑っていると、おばけもくすくすと真似して笑って、そしてそのままバス停から出て行ってしまった。
「あれ?いっちゃうの?」
思わず呼びかける。おばけは傘を差したままくるりと一回転ジャンプを決めて、颯爽と去っていく。ただ、なんとなく気持ちは判った。
「また、会おうね。」
言葉が届いたのか思いが届いたのか、おばけはさらにニバウンドほどすると虚空にひょいっと消えていく。
消えゆく後姿は、何百年、何千年前から変わらない、飄々とした姿だった。

おばけを見送って、ふう、と一息つくと、雨の音に混じって車の音が聞えてくる。
ライトの光が道を照らす。
待っていた深夜急行バスだった。小さな東京が帰って来たのだ。

ぐったりとした乗客と共に、小さな体がふらふらとステップを降りてきた。
「ちびさん、ちびさん。」
呼びかけると、小さな東京は驚いたように顔を上げる。そして、ぱたぱたとこちらに向かってきた。
「おかえりなさい、お疲れ様でした。」
傘を差しかけると、小さな東京はふるりと身を震わせて、傘に入ってくる。
「ただいまです、埼玉さん。先に寝ててよかったのに。」
いっぱいいっぱいに見上げた顔には、暗がりでもわかるくらいに疲労が浮かんでいた。
「雨が降ってたから迎えに来たんですよ。大丈夫、明日はお休みだから。」
よいせ、と抱え上げると、小さな東京はびっくりしたように身をこわばらせた。
「ええと、埼玉さん?」
「傘、一つしかないので。僕、鞄はもちますから、傘持ってくださいね。」
ちいさな東京と、半ば強制的に傘と鞄を交換する。腕の中に納まって傘を持った東京は、すまなさそうにこちらを見上げた。
「すみません、本当に。こんなに遅いのに。」
「いいんです。ちびさんも疲れてるでしょう、運びますから、寝てていいですよ。」
「すみません……」
せめてこれくらいは、と傘をしっかり持っている様がなんとも可愛い。
「謝らなくていいですよ。僕が勝手にしたことだし、おかげで久々の友達にも会えましたし。」
ぱちゃぱちゃと歩きながらそう言うと、東京は、不思議そうな顔をした。
「こんな遅くにですか?」
「こんな遅くだからです。さっきまで……お化けと一緒だったんですよ。」
言うと、東京はぽかんと目を見開く。しかしその目はすぐにふらふらと泳ぎだした。
「やだなあ埼玉さん。遅いからってそんな文句で私は怖がったりしませんよ?」
「本当ですってば。見た目はそうですね、トトロみたいな感じの方で。」
昔は結構どこにでも現れてたんですけどね、というと、小さな東京はまたすこし引いたらしい。
「ちびさんは知らないかもしれませんけど、東京さんのとこにも、昔は色々出てきてたんですよ?」
記憶の残りかすを集めるような顔をして、小さな東京は首をかしげる。様子からするとどうやら覚えはあるらしい。
「でも、そんな、トトロなんているわけ無いじゃないですか。」
「だから、トトロみたいな方、ですよ。僕のトコ、トトロのモデルになった場所なんですから。」
昔から居るんだから友達になっててもおかしくないでしょう?
永く存在する自分達の事だ。お化けや幽霊の知り合いなど、お化けになる前からごまんと居る。それを思い出したのか、東京も納得したようだった。ぽかん、と見開かれた目が、急にきらめきだす。
「あの、トトロさんはやっぱりもふもふだったのですか?」
食いついた。その単純さに思わず笑みが漏れる。
「雨でびしょ濡れでしたけど、相変わらずもふもふしてましたよ。」
「おおお。」
憧れの眼差しで小さな東京が声を上げた。
「私、あのもふもふのおなかに抱きついて眠ってみたいんです。」
きっと気持ちがいいんです。
うっとりと、幸せそうに言葉が続く。
「そうですね、きっと気持ちがいいでしょうね。僕はやったことないんですけど。」
「なんてもったいない。一度やればいいんです、こうぎゅっと。」
そう言いながら、ぎゅうっとくっついてきた小さな東京を、そうですね、と抱きとめた。
「今度あったときに、頼んでみてもいいかもしれないですね。」
いつ会えるかはわからないけれど……その言葉は言わずにおく。永の時を生きる自分たちのこと、いつ会えるか、よりも、今後会えればそれはいつでも大差ない。
「はい、ぜひそのときは私も一緒……」
言いながら、東京はふわぁ、とあくびをしている。やっぱりお疲れなのだ。
「ちょっとでも目を閉じて休んでた方がいいですよ。もうすぐ家に着くから。」
「ええ……そうですね……」
また、ふわぁとあくびが漏れた。ふらつく傘を引き取って肩にかける。
ちいさな東京はどうやら言ったとおり目を閉じたようだった。

家に着いたのは、抱えた体が少し重くなった頃だった。
「ちびさん、つきましたよ。」
すっかりおねむの小さな東京を、ぽんぽんと叩いて起こす。
「……ふ……ぁ。すみません、私すっかり寝てたみたいで。」
「いいですよ。寝床は準備してますから、さっさと着替えて寝ましょう。」
目覚めた小さな東京を、よいしょ、と下ろすと、こちらにも睡魔が伝染したらしい。
あくびと一緒にふわぁあと背を伸ばす。
「僕もそろそろ眠いし。」
「こんな時間ですからね。」
ふわぁぁ……とあくびが重なった。
三時を回った時計の元、もぞもぞと着替えて、寝床に入る。
「おやすみなさい」
「おやすみ……」
あいさつもそこそこに、目を閉じた二人の意識はあっという間に深い眠りに飲み込まれたのだった。



埼玉の方が、「トトロのモデルはさいたまなんですよ!!」・・・と力説してたのでなんとなく。
小さな東京さんは、関東各県でそこそこ可愛がられてればいいかなと思います。
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