酔花

「飲むけんつきあいんしゃい。」
「・・・またか。」

時刻は夜に入っていた。
正直なところ夜に出歩くのは好きではない。飲みに行くのも、さして好きというわけでもない。
「今日はうちでよか?」
「・・・わかった。」
しかし、誘われるとどうにも嫌といえない自分がいた。
覚えてしまった終電の時間。最初は抵抗があったものの、今や通いなれてしまった夜の道。
ため息交じりの夜の一時間弱を過ぎた頃には、福岡の家に到着していたのだった。

「何で毎度毎度おいば呼ぶとか?」
「だって佐賀なら来てくれるやろ。」
ほら、飲まんね。
注がれた酒に口をつける。相変わらずの焼酎の味がした。
並べられている肴は、常備してある乾き物・・・と、いくらかの居酒屋料理。冷奴にハムやチーズといった物がテーブルの上にところ狭しと並んでいる。
・・・どんだけ飲む気じゃ・・・?
手料理に感激するような気分は、とうの昔に擦り切れてしまっていた。肴が消えるか足りなくなるまで飲むのが常なのだ、今日はどれだけ付き合わされるか、テーブルを見ただけで想像がついてしまうのが嬉しくも有り悲しくもある。
「長崎でも大分でも熊本でも呼べばよかとけ。隣はおいだけじゃなかろーが。」
「長崎も大分も来っとに時間の掛かるやん。」
ぶう、と膨れて福岡も焼酎に口をつける。
「熊本は?」
「とごえんな!」
熊本の口真似で、福岡はそう凄む。
「ってさ。この間、夜に電話したらあっさり断られたばい。」
そして肩をすくめると、ふうっとため息を付いた。
・・・おいも、そんくらいきっぱりと・・・
断れたらいいのだが、いまだかつて断りきれた事が無い。そもそも断れていたら今ここにはいない。
そして、断らないのをわかっていてか、福岡は結構な頻度で佐賀を呼び出す。
「その点、佐賀はいつだって来てくるぅけん、好いとぉよー♪」
一瞬で顔に血が上る。しかし、現実はもう既に何百年の時間の中で判っていた。
「軽々しくそう言うことばいうな。」
渋い顔を作って、そう諭す。
「他の奴らにもそがんいいよっとか?」
「・・・え。・・・あ、いや・・・」
否定する構えを見せてはいる。いるが、隠せていなかった。判ってはいたが、やっぱり八方美人である。
「言うなよ。」
・・・そして、自分にはその八方美人のおこぼれが来ているだけなのだ。


酒飲み話は、例によって一方的に続いていく。自分の仕事はそれに相槌を打つことくらいだった。
東京に進出しようとした話や、関門海峡を挟んだイベントの事や、大阪に敵情視察行って見たなど、福岡の話はとどまる事を知らない。あまり外に出ない自分としては、外の話の仕入れにもなる。・・・しかし、話を聞けば聞くほど、福岡は遠かった。
彼女は、九州を見ていない。
ライバルは東京。自分からは想像も付かない相手に、福岡は噛み付こうとしているのだ。
焼酎を呷りながら続く話を聞き続ける。
しかし、聞かされる話は途方も無い世界の話にしか聞えなかった。福岡は目をキラキラさせながら語る。輝いた表情とその姿は、焼酎をあおり乾き物を摘みながらと言う日常的なものなのに、高嶺の花そのものだった。
・・・自分には決して、手が届かない。
目の前にいるのだ。隣にいるのだ。こうして共に酒を酌み交わす事も多いのだ。
それでも、語られる言葉全てが、福岡との距離を離していく。
夜に出歩くのは嫌いだった。こんな夜更けに呼び出されるのも、ほいほいと福岡に誘われるまま飲むのも、彼の信条からは外れている。
そして、何よりもその場で語られる遠い話は、聞いていて辛かった。人気者の彼女の多くの交友関係と、想像も付かないような大きな挑戦の話。聞くたびに、嫉妬だか焦りだか諦観だか、考えたくない感情が沸いてくるのだ。
そんなこちらにはお構い無しで福岡は次々と話を進めていく。
「でもまあ、なかなかうまくいかんとよね。内部も揉めるし、協力してくれるとこも少なかし。」
「お前が協力ば要請すりゃ、大概のところは頷くごたばってんな。」
適当に相槌を打っていると、福岡は頭を振った。
「そげんこたなかばい。」
そう言って、肩をすくめる。
「夢物語に金は出せん、とか。協力はしてもいいが、見返りは貰う、とか。」
「そりゃあな・・・。」
「そして無理難題ば言ってくると。あっちの土地の権利貰うとか、水利とか天下りとか。
 違法な事もしれっと言い出すけん、なかなか進展せんとよ。っちゅーか、多分手伝う気なかとよね。」
「それならそうと、はっきり言えばよかとにな。」
「そんなもんばい。あたしに表面は協力しときたかとやろ。ばってん、ニコニコしながらいつだってあたしの失敗ば狙っとぉ。」
福岡は、自嘲交じりの諦め顔だった。
「そがんやり方は許せんが。・・・大都市も大変じゃな。」
「しかたなかさ。」
それにね、とため息。
「どーせあたしは嫌われもんやもん。」
その言葉を聞いた瞬間、血が引いた。
「・・・なんばふうけた事ば言いよっとか。」
声は勝手に震えている。
「お前くらい人気のある奴はそうそうおらん。」
「見た目だけばい。みんな、心の中じゃ嫌っとっ。わかるもん。」
次の瞬間血が一気に上った。同時に佐賀の手は福岡の襟首を掴む。
「お前の嫌われとっわけのなか!おいば始め、みんなお前ば頼りよる!それもわからんとか!?」
間近に見た福岡の目は驚いたように見開かれていた。
それでも、抵抗は強い。
「何よ!そがんこと言って、どうせ私の都市機能だけが目当てなんやろ!?」
声に水気が混じった。佐賀の手を払おうとする福岡の手に筋が浮かぶ。
「大体あんたたち、私のこと気に食わんって言うやん!!」
泣きそうな声に構わず、顎に手をかける。潤んだ瞳はそれでもまだ戦う意思を残していた。つくづく気の強い女である。
「そりゃ、気に食わんのは確かじゃ!お前はおい達ば事あるごとに見下しとっごたっ事ば言う。ばってん」
「そがんと嫌っとーとと一緒やん!」
福岡は最後まで聞かずに怒鳴り返す。
「私が都会やっとらんかったら、見向きもせ・・・!」
最後までは言わせない。唇で口をふさぐ。
驚いたのだろうか、福岡の目はさらに見開かれ、体からは力が抜ける。
福岡はむぐむぐと身体をよじる。その抵抗が止んでから、ようやく口を離した。
「それでも!嫌えんとじゃ・・・!」
出てきた言葉は、絞り出したような声になっていた。
潤んだ瞳はぽかんと見開かれ、間近にある。
「福岡、おいは、お前が・・・!」
そこまで口走って、はたと我に返った。
自分は今、何をした?そして、何を言おうとした?
想像だにしなかったことだ。・・・今まで、したいと願った事がないといえば嘘になるが。
顎を掴んだままの手、襟首を掴んだままの手を離す。
「・・・なんだかんだ言っても、現実的にお前は今の九州代表じゃ。それなのに自分を卑下したりするんじゃなか。みんなの印象まで悪くなっけんな。」
心配すんな、みんなお前の事は嫌っとらん。そこまで何とか言えた声は、自分でも滑稽に思えるほどに震えていた。
「それと・・・すまんかった。出来るなら、さっきのことは忘れろ。」
もう、帰るけん。そう言って、散らばった皿を重ねる。福岡の顔は見れない。そのまま沈黙の作業を済ませ、台所に行こうと立ち上がる。と、服の裾が引っ張られた。
「・・・待って。」
震える声に心臓が止まりかける。
「・・・な、なんじゃ?」
「・・・行かんで。」
そう言うと、福岡は佐賀の持っていた食器類を奪う。そして、足音を鳴らして台所へ向かったかと思うと、数秒でまた戻ってきた。あっけにとられている間に、手ぶらのその身体は、驚くくらい自然にこちらに抱きついてくる。
「・・・!?」
目を見開くのはこちらの番だった。
「・・・ふ・・・福岡?」
声が上ずった。
どちらのものとも知れない体が、震えている。福岡も震えているのだろうか。
だから、所在無く下げていた手を、なんとか福岡の背に持って行った。酒のせいもあってか、福岡の身体は温かく、・・・しかし、震えていた。
微かに湿る感触に、彼女の涙を感じる。
「ねぇ、・・・言って。」
「・・・なんばか?」
「さっきの続き。言ってよ。」
震える声が何を指しているのか、一瞬わからなかった。そして合点が行くと同時に、喉の奥が凍りつく。言えるわけが無い。
「・・・わ、忘れろちゆうた筈じゃ。」
「逃げんな!」
言うなり、福岡はキッとこちらを見上げる。
「言って、・・・ちゃんと、言うてよ・・・!」
縋るような・・・いや、詰問するような声。その瞳は、赤く、涙に潤んでいた。
覚悟を決めるしか道は残されていない。息を吸う。そして、心が迷いに動く前に声を出した。
「・・・福岡。おいは、・・・お前ば、好いとっ。」
目を見て言う。それはずっとずっと前、何千年も前からの想いだった。
次の瞬間、福岡の全体重が佐賀にのしかかる。
「!?」
思わず尻餅をついた。なんとか抱きとめた福岡は、こちらの首にしがみ付いて来る。
「・・・本当よね?」
「・・・おいは嘘はつかん。」
抱きとめた腕に力が篭った。
「気に食わん事も山んごとあっさ。ばってん、嫌いになれたことは無かとじゃ。
 戦っていた時も嫌いとは思えんかった。気に食わんとは思っても、完全に縁を切りたいとは思えんかった。」
福岡の都会ぶりや派手好きを軽蔑していたのは事実だ。ただ、どこかでそれを好ましく思う気持ちがあった。
羨望もあれば、身に過ぎた嫉妬もある。嫌いになれたら楽だろうと思いつめた事だってあった。単純に好きだと思うには、時を重ね過ぎてもいる。
・・・それでも。
「おいはお前から離れられん。」 それが真実だった。 「それに、この先ずっとお前を嫌うことだけは出来んと・・・無いと思っとっ。」
おいにはお前が必要なんじゃ。 そこまで言って、息をつく。
「こいでよかか。」
言った。言ってしまった。ここまで来て心臓はまた早鐘を打っている。
「・・・佐賀。」
かすれた福岡の声に心臓はさらに悲鳴を上げた。声も出せずとりあえず声のほうを向く。
次の瞬間、唇にやわらかいものが触れた。
ありえない一時。脳天の先まで感情が突き抜ける。
「あたしもね、佐賀が隣に居って良かったち思っとぉ。」
好いとぉよ、佐賀。
夢だか嘘のような言葉に、おそるおそるそちらを見ると、蕩ける様な微笑みがそこにあった。
薄く目を開けて、顔を赤くして、とろりとこちらを覗き込む瞳が見える。それが、目蓋に隠されて、・・・それに誘われるようにまた、口づけた。
幸せそうに聞えるくぐもった声が、耳に心地よい。
いいのだろうか、わるいのだろうか。そんな疑問も、この現実の前にどこかに吹き飛んだ。
福岡の身体を思い切り抱きしめて、上体を前に倒す。
「・・・よかな。」
「・・・ん、・・・来て。」
口付けを強請る様に、福岡は目を閉じ、小さく顎を突き出す。
それに応えてまた口付ける。今度は中まで貪るように。
そして、本能に身を任せた。



手折れるか否かは、心一つ。
腕の中に眠る彼女は、かつての高嶺の花。




11/22はいい夫婦の日!なので、盛大にあまったるいのを書いてみました。
いつぞの絵茶での課題「高嶺の花をへし折る話とか!」を、数ヶ月遅れで実践してみました。遅れたすみませんっ!そしてどうしよう、甘すぎて推敲する気も起きないっ(苦笑)
佐賀→福岡は高嶺の花だと思ってるんですけどどうなんだろうなあ。
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