風呂場からは珍しく自分以外の人間の水音が聞えていた。
今日は珍しく静岡が泊まりに来ている。
というのも、東京での仕事が遅くなりそうだと言っていたからだ。それなら自分の家に来いと言って、それもそうだね、となって今に至る。
「お風呂ありがとー、あがったよー」
やがて、髪をがしがしと拭きながら、静岡が姿を見せた。
「シャンプーわかったか?」
「うん。いい匂いするねえ、これ。」
ほこほこした表情でそう言う。
「じゃあこれ。さっさと髪乾かせ、風邪引くぞ。」
言いながら渡すのは、自室に置きっぱなしだった充電式のドライヤーだ。しかし、静岡はいらない、と首を振った。
「ええー、いいよ、自然乾燥で。」
「よくねえ!」
思わず突っ込んだが、全く効き目は無いらしい。やる気なくゆるゆると部屋に入ってくる。
「いいよぉ。」
「よくねえっての。いいからそこに座れ。俺が直々に乾かしてやるから。」
手を伸ばすと、ええーっと不服そうに足が止まった。
「いいってば。」
そしてタオルを肩に掛けたまま、ぱたぱたと逃げていく。しかし場所は狭い部屋の中だ。その襟首をむんずと掴んで引き寄せた。
「ちょ、カナちゃんはーなーしーてー!」
じったばったと逃げようとする姿は完全にお子様である。
「だーめーだ。いいから大人しくそこに直れ、子どもみたいな反応しやがって」
「だってうち小学生じゃん」
「あーもう、ああいえばこういうっ!いいから大人しくしろ!」
がしっと肩を抑えて手に持ったドライヤーのスイッチを入れた。風の音が聞えると、観念したか静岡も大人しくなる。
結局、長座と胡坐の間のような格好で座った神奈川の脚の間に、ちょこんと静岡が座る格好になった。
肩を抑えないでよくなった片手で、濡れた髪を持ち上げる。水滴が垂れてこないところをみると、タオルで拭く分の水分はちゃんと抜けていたらしい。
しかしこのやる気の無さはなんなのだ。全体に風を送りながらため息をつくと、静岡もふうっと息をついた。
「カナちゃんは拘るねえ」
「一般常識の範囲内だ。大体ちゃんと乾かさないと荒れるだろ。」
「荒れたって伸びてくるじゃん。」
「何言ってんだ。一度荒れたら抜け替わった位じゃ元に戻らねえんだぞ。」
髪を上に持ち上げて風を送り、下に下ろして風で撫でる。全体にそれをやっているうちに少しずつ髪がふわふわと柔らかくなってきた。
生乾きになってきた髪に、ゆるくブラシを入れる。
柔らかな髪には、いい香りと艶やかなキューティクルが浮かんできた。明らかに普段より艶が増している。
「髪、放置しすぎだぞ。」
「別に死ぬわけじゃ」
「少しは気に掛けろって言ってんだ。お前一応女だろ。」
そしてまた、髪を持ち上げて中に空気を入れ、緩い手櫛で整える、繰り返し。
そのうち、静岡の口数が少しずつ減ってきた。
「あー、なんか気持ちいいね。」
気が抜けたように力を抜いて、頭をささやかに此方に任せてくる。
「当たり前だろ俺がやってんだから。」
大分乾いてふわふわとした髪の感触は、此方も手に心地よい。
「カナちゃん器用だねえ。なんか眠くなりそう。」
「後ろ乾いたら寝てもいいぞ。」
「んー・・・早く乾かないかなあ。」
ふわぁ、と小さなあくびが聞えた。
「そんなに掛からねえと思うぞ。あと少し。」
「・・・そお。」
言いながらも、静岡は既に気持ちよさそうに目を閉じている。
少しは静かにしてやってもいいか、と口を閉じると、ふわっと我が家のシャンプーの匂いが漂ってきた。
いつもより艶やかでいい匂いのする髪。ここまで柔らかかっただろうかと不思議に思うような手触り。
こんなに変わるなんて、静岡は普段どんなケアをしているのだろうか。
リンスとかコンディショナーとか、使っているかどうかすら怪しい。髪だって乾かしていないのは自明だ。
「こんなに変わるのに、なんでやらねえんだよ。勿体無えなあ。」
呟きに答えはない。かわりに、かくりと頭が揺れた。眠ってしまったらしい。
乾いた髪を確認して、ドライヤのスイッチを切る。
まだ起きない静岡を見て、ふむ、と思った。
小さな身体をそっと此方に倒して、よいしょと抱え上げる。
「うー・・・あ?れ?ちょ、カナちゃん?」
流石に気がついたか、静岡が目を開けた。
「眠いんだろ。俺が運んでやるよ。」
「いいよ、起きたよ自分でいけるって。」
「問答無用。」
立ち上がると、バランスを取るためか、慌てて抱きついてくるのがわかった。
「お前軽いなあ。」
「カナちゃんは強引だに。」
はあ、と息をつく静岡の目をじっと覗き込む。と、慌てたように瞬きだした。
「何?」
少し頬が赤いのは照れているせいだろうか。
「いいや。」
なんだか可愛らしい。
「いい夢見ろよ。」
ベッドに下ろすと、もう、と言いながら静岡は蒲団にもぐりこんだ。
「・・・お休みカナちゃん」
「ああ、おやすみ。」
寝息が聞こえて来たのは、照明を落としてほどなくのことだった。
静岡さんの髪は柔らかそうです。柔らかそうですが手入れとかしないんだろうなあと思ったら、私の中の神奈川さんが、いやそんな事は許さねえよ、しずがやらないなら俺がやるといきまいたというかまあそんな感じです。