見越入道

東海道は、押しも押されぬ天下の五街道の一である。江戸から京都までを結ぶこの道は十もの国を通る基幹街道であり、無論人通りも物の行き来も多い。また、噂の類も人や物とともに行き来している。
そんな中。街道沿いに妙な噂が立っていた。

「街道に変な坊主が出るんだそうだ。」
「なんでも、見てるうちにだんだん大きくなっていくんだってよ。」
「そのまま見上げたら殺されるとか。」
「ひぃ、怖いねぁ。くわばらくわばら。」

噂はあっという間に江戸まで伝わり、それはやがて国中に広まっていく。

「見上げるほどでっけぇから見越し入道、ってな。」
いいねぇ、そんな豪快な奴。いっぺん会ってみたいもんだぜ、と気風よくカラカラと笑うのは江戸である。
「へえ、江戸は怖くねえの?飛び越されっと死ぬとか見上げっと死ぬとか言うべ?」
楽しげに聞くのは、隣の総州だ。海風で焼けたか色の薄い髪をかき上げて大らかに笑んでいるその姿は、どこからどう見ても海の男である。
「もちろん、怖くねえよ?ちゃーんと、対処法も知ってんだ。」
耳の早さじゃ誰にも負けねえんだぜ、と江戸は得意げに言う。
「そういうときはな、『見越した!』て言ってやりゃぁいいのよ。」
「へぇ、意外と単純なんだな。」
「相手は妖怪じゃねぇかよ?んなもん気合だ気合。気合で勝ちゃ逃げてくもんだ。」
妖怪相手でもさして物怖じして見せないところは、都会の風のなせる業だろうか。江戸よりは遥かに田舎で、まだ得体の知れない物への畏怖の残る総州から見ると、驚くような恐れ多いようないい分である。
とはいえ。
「『見越した』ってのと気合な。まあ、対策にはなるべ。」
一種恐慌状態になりかかっている現状には有効だと、そこの判断は総州でもついた。
「知ってるのと知らないのじゃ大違い、ってな。」
カラカラと笑う奥底には、そんな計算高さも見え隠れしている。
「だべ。あんがとよー、江戸。」
「なんてこたねぇよ。まわりの奴らも知ってりゃこの噂も収まりそうなもんだがな。」
皆しておびえちまっていけねえや、と江戸は肩をすくめる。
「んだなー。まあ俺も話してみんべよー。」

そんなやり取りの一週間ほど後。
「ああ、あのでけえ坊主な。俺も遭ったぜ。」
厳しいと評判の箱根の関。その柵に寄りかかって談笑する若者らの姿があった。相模側に二人、駿河側にひとり。
相模側の二人のうち、一人は青年の格好、もう一人は少年と青年の間くらいの格好をしていた。だが、駿河側に居るのは年端も行かない少女だ。
柵に寄りかかっていようが、妙な取り合わせだろうが見咎められないのは、それ相応の理由があった。
彼らはその地域、そのものなのだ。
「なんでぇ、お前も会ったのかい、相州。」
青年、江戸が驚いたように言った。相州、と呼ばれた少年は、ああ、と肩をすくめる。
「山の方行ってたら突き当たりでご対面、ってなあ。」
「相ちゃん、その割に平気そうだねぁ。」
怖くなかったの?
心配、というより怖がらないのが珍しい、という風で訊ねる少女……駿州を、相州は心持ち苦い顔で見返した。その隣で江戸がニヤニヤとその様子を見ているのに気付くと、さらに機嫌が降下したらしい。
「駿州、その相ちゃんっての止めろって言ってんじゃんか。」
「でも、相ちゃんは相ちゃんだら?」
「だぁらっ!」 
「はいはい、本題に戻してくれねぇかい、そーちゃん?」
しかし、荒くなり掛かった声はあっさり遮られた。
相州は江戸を殺せそうなほどの目つきで睨むと、一つ舌打ちして息をつく。
「そりゃあな、最初は何かと思ったぜ?けどよ、国中の噂じゃんか、あのバケモン。
で、見上げちゃ拙いって思い当たったはいいが、一向に退く気配もねえ。」
「で、お前はどうしたんでぃ、相州?」
「あー、覚悟決めて胡座かいて煙草吹かしてたら、気がついたら居なくなって」
「へえ、相ちゃん、煙草吸えたんだ?」
駿州の驚いたような……そして若干非難するような声に、相州はムグとつまった。しかし、ニヤニヤと様子をうかがっている江戸に気付き、気を取り直すように一つ咳払いをする。
「とにかく!あんな奴、俺の敵じゃねえんだよ!気合だ気合い!それだけで撃退出来んだからなっ!」
「わー、相ちゃん男前だねぁ。」
ぱちぱちとかわいらしい駿州の拍手に、当たり前だろ俺だからな!と相州はまんざらでもないらしい。
「気合い、な。まあその点に関しちゃ俺も同感だ。」
クスクスと笑っていた江戸は、ところで、ともう一人……駿州の方に向き直る。
「駿州、お前の方じゃ何か聞いてねぇかよ?この噂で往来まで滞るってんで、色々聞いてるとこなんだがよ。」
駿州ものんびりと頷いた。
「うん、こっちでも噂になってるよー。首かみ殺された人も居るってさあ。
 けんど、でっかくなる坊さまなら、うちも会ったんだあ。」
「へ」
「何だって!?」
江戸が感心の声を漏らす前に、相州が柵に掴み掛かる。
「駿、お前、まさか一人で夜歩きしてたんじゃねぇだろうな!?」
嘘は許さぬ、との気迫に、へろりとしていた駿州もたじろいだ。
「見越し入道が出てくるってぇと、一人歩きの晩だと相場が決まってんじゃねえか。」
何言ってんだおめぇ、という風の江戸の表情も面白がっている風にみせて決して笑ってはいない。
柵の向こうからの二人の厳しい目線に、駿州も白旗をあげた。
「いやね、うちも会ってみたいなって思って、ちょっと夜の散歩をしてみたんだよー。」
「一人でか。どこにだ?」
相州の気迫に、駿州は一歩下がる。
「……ええっと。……富士見峠の」
「んだと!?」
今にも柵を越して掴みかからんばかりの相州を押さえ、江戸も渋い顔をする。
「女子供が夜に出歩くところじゃねえなあ、間違っても。」
「……だってさあ、あんな噂になってるから気になるじゃ」
「気になる、じゃねえっ!お前、自分の身体能力と見た目」
「やかましい。」
相州の怒鳴り声は、しまいの方は、江戸が口をふさいだせいでもごもごとした音になっていた。
「そんなんじゃそのうち好奇心に殺されちまうぞ。
 けど、お前に何かあったら権現様に申し訳たたねえんでな、以後控えろ。」
びしっと言いつけた江戸は、駿州がこくこくと頷くと、ふっと表情を緩めた。
「ま、お前の性格じゃ無理かもしんねえけどよ。」
「さすがだで、江戸わかって」
「無理、じゃ、ねえだろが!ごるぁ駿!!」
表情とともに緩めたと思しき腕から相州が飛び掛ってきた。
……とはいえ、柵に阻まれて掴みかかるには至らないのだが。
「……控える、控えるって。だからごめんしてよ、相ちゃん。」
「相州、駿州もそう言ってるし、ちっと黙ってろ。」
言われた相州はぐるるるる、と駿州を睨みつけているが、江戸はやれやれ、と駿州に向き直る。
「で、駿州。折角会ったんだったら聞かせろよ。
 お前、その坊主と会ってなんで無事だったんでぇ?」
「あー、うんとね。ほら、折角会いに行くんだから色々知りたいじゃんか。
 だけん、うち、差し金とか袋とか色々持ってったんだよ。」
計るものとかあったら便利だし、落し物拾えたらめっけもんだら?と言う駿州には流石の江戸も目を丸くする。
「で、坊様が大きくなりだしたから、どこまで大きくなるかなって差し金出して計ろうとしたの。」
丸くなった目が、ひき、とひきつった。
「そしたらさあ、一目二目って読むうちに消えちゃうじゃんか。拍子抜けだよ。」
さすがの相州も呆れ九割の表情で駿州をみやる。
「お前なあ……」
呆れすぎて言葉にならない相州の横で、江戸はくつくつと肩を震わせる。
「駿州、お前根性座ってんじゃねえか。大の男だってそこまでしねえぞ。」
「そうかなあ?
 まあね、うち、そんじょそこらの大の男よりずうーっと年食ってるからさあ。」
「はっ、年の功ってか?お前の格好で言われちゃお終ぇだなあ、おい。」
愉快そうに笑う江戸の横で、相州が深々とため息をつく。そして、ぎっと駿州をにらみつけた。
「だがな、夜にんなとこに出向くんじゃねえ!何かあったらどうすんだよ!」
「大丈夫だよー。妖怪とか幽霊とか化け物含めてうちの住人だで。」
一向に緩む気配のない相州の目に押されて、駿州はあわてて言葉を継ぐ。
「あのね、それに一応対処法も知ってはいたの。見越した、て言えばいいってさ。」
だから安心してよ、ね。
宥めるような言葉も、半分も通用していないらしい。
参りきった駿州が江戸の方に目をやると、丁度よく関所の方から声が掛かった。
「江戸さまー。関所通過の許可がおりましたー!」
「おう、ありがとうよ。」
関の方に声を掛けると、江戸はそれじゃあ、と駿州に向き直る。
「今からそっち行く。相州、関までお前も来い。」
振られた相州は怪訝な顔で江戸の方を向いた。
「はぁ?何言って」
「いいから来いっての。天下の江戸様の言う事が聞けねえか?」
言いながら相州の首根っこを掴んで引きずっていく。
「待てこら、何すんだよ!」
「関まで連れてくっつってんだろが、聞えなかったか。
 じゃあな駿州、また後で。」
手を上げて挨拶すると、駿州も多少ほっとした表情で見送った。
相州からこれ以上怒られなくて済むかな、という気持ちは間違いなく一片以上はありそうな風情である。
「うん、また後でー。関のこっちで待ってるよー。」
だから、駿州も軽く手を振ってその場を後にしたのだった。

関が開くまでにはさして時間はかからなかった。
駿州が待って少しすると、江戸を伴っていた主人と共に江戸が現れる。
これはこれは駿河殿、こちらこそこの度はよくいらっしゃって、と、形どおりの挨拶を済ませると、待ちかねていたように江戸がニヤリと笑った。
「さあて駿州。ちっと反省会と行こうじゃねえか。」
その笑顔に嫌な予感が駿州の背をすうっと走る。
「反省会って……?」
「わかってんだろ、夜歩きの件だよ。
 お前の話はなかなか興味深いもんだったが、それとこれとは話が別だ。
 さっきも言ったとおりお前に何かあったら権現様に申し訳がたたねえのよ。
 けど、俺は今からまだ用事があるんだな。そこでだ。」
展開が、なんとなく読めたような気がした。
「相州、終わったな?」
後ろにかけた言葉も、なんとなく想像がついていた事。
「ああ、終わったぜ。」
返事と一緒に出てきた相州の姿も、……そしてこの後の自分の運命も、大体把握はできて、思わず額を押さえる。
「あとは相州に任せる事にした。」
逃走不能のお説教が待っている、と、つまりはそう言うことである。
「……そ、そう……。」
「しっかり反省しろよ。んじゃな。」
ひらひら、と手を振って江戸は主人の方に歩いていく。

そして、関のこちら側に二人が残された。いつもは邪魔っけな、二人の間を隔てている柵は、今こそあって欲しいのに、もう、ない。
「駿、覚悟はできてるな?」
相州も初手から怒鳴る気は無いようだった。しかし、それがさらに迫力を感じさせる。
そして、頷こうと嫌がろうと、逃げられない以上結果は同じなのだ。

その日。
関の駿河側では、日が落ちても相州の怒声が聞えていたという。



いつもお世話になってる某YAMAさんへの誕生日プレゼントでおしつけたものです。
そういえば初の時代物?一応元ネタはこれ(Wikipediaさま )です。すごいこれぞ地域性だよ!!と一人で興奮したんですけど本当。
江戸時代だったらカナちゃんがなんとか静ちゃん追い越したくらいかな、との勝手な妄想。無茶した時はしずちゃんもカナちゃんに怒られてれば良いと思います。愛ゆえに。
戻る