アルカンシェル

暗がりの中、ふと目が覚めた。
外の音のせいだろうか。ざあざあという雨音が聞える。寝るときには降っていなかったはずの雨が降っているらしい。
我が身はといえば、蒲団と蒲団の間に落ち込んだのか、少し硬い畳の感触が伝わってきていた。
……今何時だろ?
寝ぼけた頭で辺りを見回そうとして、緩く拘束された自分の身体に気付く。
蒲団が絡まっていた。ついでに現在地はパジャマの腕の中だ。例によって神奈川の。
同じように蒲団と蒲団の間に落ち込んでいる神奈川は、まだぐっすり夢の中、らしい。あどけない、なんて言ったら確実に怒られるが、……平和な寝息を立ててぎゅう、と抱きついてくる。
以前は、抱きしめてやるのは自分だったのに、それはいつの間にやら逆転していた。
……いつからこんななっちゃったのかなあ。
自分がこの姿のままだから、神奈川が成長すれば逆転するのは自明の理だが、たまに、それが悔しいと思うこともないではない。

百五十年前にいきなりやってきた成長期で、見上げるほどに成長してしまった神奈川は、それでも気を許した相手の前では百五十年前と大して変わらない表情を見せていた。
普段大人ぶって格好つけている反動のように。
急激に大人になってしまったと言う事は、それ相応に苦労があったからだろう。本人は全くそんなそぶりは見せないが、そんな所が少し気の毒に思う気持ちもあって、此処に来ている時くらいは、と、甘やかしたくなるのだ。

無理しなくていいよ。安心してお眠り。
泣いても大丈夫だからね。

そんな風に、抱きしめてあげたいと思うことだって、ある。
でも、それではああも成長した神奈川に失礼かな、と思わなくもなくて、なるべくやらないだけだ。それに、見た目の年齢差の自覚もないではない。だから、そう言うときは、もう少し自分の背が高ければ、と思ってしまうのだ。

子供のような好奇心。
子供のような何かに夢中になる心。
子供のように素直な目で見ること。

どれが欠けても今の自分は無い。だからこの姿にも納得はしているし、誇りにだって思っている。俺の世間体のためにさっさと大きくなって欲しい、と神奈川に何度言われても、はいはいそうだねえ、と流せる程度には。
でも、たまに。ほんのたまにだけれども、自分の見た目を悔しく思うこともあるのだ。
背伸びしても頭を撫でてあげられない時。全身で抱きしめてあげられない時。
……きっと、神奈川は気付いてないだろうが。

腕の中の居心地は正直悪くない。ふしぎな安心感もあって、こうやって抱きしめられると条件反射のようにふわりと眠気が襲ってくるのが常だった。
夜明けにはきっとまだ間がある。そう割り切って、目を閉じ、こてんと身を寄せた。片腕で肩を抱くと、丁度よい抱きまくらになる。
すう、っと息を吐くと、意識も一緒に遠のいていったようだった。


なんだか呼吸がきつくなって目が覚める。
なんなのか、と目を開ければ、薄暗がりの中がっしりホールドされた自分の身体に気がついた。
これでは眠れない。
なんとか酸素を補給すると、もぞもぞと腕から脱出にかかる。
重たい腕をよいせ、と退かして、何とか腕から転がり出てほっと一息。
絡まった蒲団も、自分の分を引っ張って、何とか自分の蒲団にもっていこうとあがく。
「……ん……」
自分のではない、くぐもった声がした。そちらを向けば、薄目を開けた神奈川がぼんやりこちらを見ている。
「……しず、起きたのか?」
「……あちゃあ……カナちゃん、ごめん、起きちゃったね。
 まだ寝てていいよー。」
返事をして蒲団を引っ張る。そして、なんとか蒲団をキープすると、蓑虫のようにもぐりこんだ。
居心地のいい蒲団の中でまどろみに向かうひと時。
しかし、その平安は長くは続かなかった。
「おい、起きるぞー。」
べり、と蒲団をひっぺがされ、静岡はころころっと転がり落ちる。
「……えー……カナちゃん、まだ早いんじゃ。」
「目ぇ覚めちまったし。」
そんなのは知ったことではない。丸まって、放り出された蒲団に転がり込む。
「うち、まだ寝たりないよ。」
おやすみ、と目を閉じると、蒲団の上から重量物……というか神奈川がのしかかってきた。
「ちょっと、カナちゃん重たいってば。」
「腹減ったし。」
重量物は退く気配がない。
「もう6時だし。」
「うちは7時までは寝たいのー。」
「俺はもう目ぇ覚めたの。飯くわせろよー。」
「朝ごはんー?自分で作ってよ、もう。場所わかるら?」
返事しない、と決めて無理やり蒲団の中に丸まると、諦めたのか重量物はなくなった。ちぇーっというぼやきとともに、本格的に起きる事にしたらしい。足音が遠ざかる。
目を閉じたままふうっと息をつくと、意識はすぐにうつらうつらと遠のいていく……はずだった。
バタバタとした足音と、こちらの睡眠に気を使う気ゼロの大きな声。
「しず!起きろよ!!」
言葉とともに、またしても蒲団がひっぺがされる。
「なぁにーもう……」
「虹!虹みえてっから!」
「え?」
意識はすぐに浮上した。虹というだけでも気分が上向くが、明け方に出てくるとは珍しい。
寝ぼけた体を最高速で起こすと、いつの間に着替えたか、ハーフパンツにTシャツ姿の神奈川が居た。
「ほら、早く行かないと消えるって」
少し興奮気味の声。
「あわわわ、まって、まってって。痛いよ。」
腕を思いっきり引っ張られて慌てて立ち上がると、神奈川は、もどかしい、というようにひょいっとこちらの身体を抱え上げた。
「ほら、ぐずぐずすんなって。」
「ひぁあああ!」
抗議は無論聞いてもらえはしなかった。
落ちないようにひしとしがみ付くしかない、眠気も吹っ飛ぶ大急ぎだ。庭先に直行すると、抱えられた高さから指し示された西の空を見上げる。建物と生垣に阻まれて部分でしか見えないのだが、かすかにかかる虹が見えた。
「うわぁ……ホントだ、虹だあ……!!」
一発で目が覚めた。虹の色が濃い。アーチ部分もこれは期待できる。多分高台まで行けばもっと綺麗に見えるだろう。
「カナちゃん、外いこ!あっちの高台まで行ったらもっとでっかく見えるから!」
「やっと目ぇ覚めたか。
 わかった、けど着替えが先だぞ。」
「わかってるってー。ちょっとまってて!」
言い置くようにして腕から飛び降り、部屋に駆け出す。一分もしないで着替えるだけ着替え、眼鏡をひっかけると、神奈川を引っ張って玄関に急ぐ。髪も梳かしていない格好に神奈川は何か言いたげだったが、気づかなかった事にした。虹は時間勝負なのだ。
つっかけのサンダルだけ履いて、神奈川の手を取り、もっと虹が綺麗に見える高台へ急ぐ。光が消えないうちに行かないと、意味なんてない。
「カナちゃんはやくー!」
「……なんであんだけ起き渋ってたのにこんなに動けんだよ。」
呆れ顔でついてくる神奈川には開き直るしかない。
「だって虹が出たんだもん!」
上りにかかった道を駆ける。もっと上へ、もっと見晴らしのいいところへ。
と、今度はぐいっと手を引っ張られた。
「なあに?」
「ほら、見てみろ。」
指差された先には、朝ぼらけの平和な町並み、屋根のかたち。
「あ……。」
その先に、どんっと大きな虹が出ていた。
「ほれ、しず。」
「ん?……ひゃあ!?」
見上げると、一もニもなくひょいっと抱え上げられる。あわててしがみ付いて落ち着いた先、自分の顔の真横には神奈川の顔があった。
……あ、同じ目線だ。
無駄に整った顔に目をぱちくりさせると、何見てるんだ、という顔で神奈川は西の空を指差した。
「俺はこれで十分だと思うけど。もっと上、行くか?」
ガードレールや背の高い草、高い電柱と電線。この目線からはそんな障害物も消え去って、眼には虹だけが映る。
「ううん、ここでいい。ありがとう、カナちゃん。」
濃い色の虹は、もう一つの大きくて薄い虹を伴う。朝日に背を向けていても、それはとても幻想的な光景だった。
「綺麗だね。」
「ああ、綺麗だな。」
朝の風が顔をくすぐる。ふるりと顔を震わせると、抱きしめる腕に力が篭った。
「ん、どうしたの?」
振り向けばすぐ隣に相手の顔があるというのは、結構斬新だ。
「寒いのか?」
「んーん、そんなことないよ。ありがとう。」
ちょっと風がくすぐったくて、と言うと、神奈川は、ああ、と笑った。
「髪も結ばないで出てくるからだぞ、そりゃ。」
「あはははは、そういえばそうだね。」
「そういえば、じゃねえだろが、全く。」
呆れたように肩をすくめる神奈川の顔をじーっと見つめる。
「なんだよ。」
「カナちゃん、別に自分の事じゃないのにそんなむくれちゃってー」
つん、と頬をつつくと、神奈川は面食らったように眼を見開く。
しかし、それは一時の事。
「ばーか、お前だからだっつの。解れこの!」
ゆっさゆっさと揺さぶられて、あわあわとしがみ付く。
「わあああ、やめてやめてー!」
「いーや、やめてやんねえ!この!この!」
「きゃああ!カナちゃん、ごめんして、ごめんしてってば!」
ふざけ九割のやり取りは、すぐに笑いに変わる。
「反省したかー?」
「したよー。」
揺さぶりがやんで、ほおっとしがみ付いて息をつく。伏せた眼を上げると、楽しげに笑っている神奈川と目が合った。その表情に、ふっとおなかの中が暖かくなる。
「なんだ、どうした?」
間近の瞳は、朝の空の色を映している。
「んー、なんでも。」
くすり、と笑って、気がつけば消えかけてしまった虹の残滓を見上げる。
明るくなりかかった空。雨上がりの澄んだ空気の中で起き出そうとしている愛する我が地。いつの間にか背を追い越された隣県の目は空の色を映す。そして、そんな神奈川に抱え上げられてみている、大きな虹。
なんとなく、この光景はずっと覚えていそうな気がした。
この先に何があっても、この光景を思い出せる限り、自分はきっと優しい気持ちで居られるだろうと。……何かよくわからないけど暖かくてゆったりした何かを感じたのだ。
多分、……しあわせ、とかいうのに近い気がしなくもない。
言葉にして固めてしまったら無かったことになりそうな気がして、伝える事はできなかったけれど。
うすらと消えた虹を見て、視線を隣に戻す。同じ事をしていたのか、隣も同じようにこちらを見つめる。
にへら、と笑うと、力が抜けたような微笑みが返ってきた。
「おりゃ。」
ぎゅっと抱かれて、風に嬲られるがままだった髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「わわわわ。」
「か……帰ったらちゃんと髪やるぞ。」
「はいはい。」
おなかの底に灯った、暖かい気持ち。言葉で伝える代わりに、ぎゅっと抱きついた。


此処にある『現在』は、明け方の虹のように、少し儘ならない。
けれど、儘ならないからこそある温もりが、虹の消えた此処にある。



あま・・・!ちょっとやりすぎたかしら。
この二人は、姉弟とか近所のお婆ちゃんと孫みたいな関係だと思ってますが、たまに立場が逆転してたらいいなとも思うのでした。
それにしてもこの静ちゃん、渾身でデレている・・・。
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