酒蔵へ行こう

「ほいじゃ、行ってくる。帰り少し遅くなるけえ。」
「はいはい、お使い頼んだで。」
「おう。」

玄関先で播磨と丹波がそんなやり取りをしているのが聞こえて、神戸は部屋から顔を出した。
「播磨、どっか行くん?」
「ああ、ちょっとな。」
本日は休日だ。昼ごはんを食べて落ち着いたかなという、少し半端な時間。
播磨の格好は別によそ行きという訳ではないようだが、そわそわと落ち着かない気配をなんとなく感じる。
「んじゃ」
「どこ行くん?」
「地元の方。」
態度には説明をしたくない、というのが透けて見えた。ちらっと丹波の方を見ると、丹波は肩をすくめる。
「地元の酒蔵のイベントやって。」
「あ、こら」
慌てたような播磨の顔をむにっとつまむ。
「なんでそんな楽しそうなとこ一人で行こうとするん?」
つまんだ指はべしっと払いのけられた。
「ええやんけ別に。」
「うちも行きたい。」
播磨の顔に、面倒だという言葉が浮かび上がる。
「酒蔵はお前んとこのほうがようけあるやろ。」
「蔵によって味は違うやろ?播磨のとこの蔵って連れてってもらったことないし。」
「連れてったことも無いしな。んじゃ」
話はおしまい、と踵を返す。その背中を引っ張った。
「うちも行く。」
「……あのなあ。」
様子を見ていた丹波が一つ息をつく。
「播磨、諦めえ。神戸は譲らへんで。」
「譲らへんで。」
一緒になって言うと、播磨は深々とため息をついた。
「……わかった。さっさと準備して来い。」


「待って、待ってって。」
すたすたと先を行く播磨を追いかける。
「待てへん。電車逃したら間に合わへんし。」
駅までも早足、ホームでも早足だ。姫路行の電車はかなりの本数出ているのだが、歩調がゆるまる気配はない。
ようやくその足が止まったのは待機列だった。
「……何とか間に合いそうやな。」
足を止めると、やれやれと電車が来る方に目を向ける。
「急ぎすぎや。姫路行ってかなりの本数出てるのに。」
息をつきながら文句を言うと、あのなあ、と播磨は息をついた。
「姫路までは確かにええけど、そっから先があるやんけ。」
「え、姫路やなかったん。」
「姫路やけど。」
ちょうど電車が来たところでようよう乗り込む。
「どの辺なん?」
「姫路駅からバスで1時間弱ってとこやな。そっちの本数が少ないんや。」
「ああ、そういう事……。」
柱にもたれるようにしていた播磨が、こっちにこいと手招きした。場所を入れ替わって、今度は自分が柱に寄りかかる。つり革を持った播磨と向かい合うような形になるのはともかく、少し混んだ車内では距離も近くて落ち着かない。もう少し先まで行けば席も空くはずなのだが、顔を上げると至近距離で目が合ってしまいそうで困ってしまう。
「あんまり下ばっか向いてると酔うんやないけ?」
言われて顔を上げると、悪戯っぽく笑った顔がこちらを見ていた。
「昔の話やろ!」
むに、とその頬を引っ張る。何するんやこの暴力女っという言葉も頬が引っ張られていてハ行まみれだ。
確かに、慣れてないうちは少々気分が悪くなったこともあったりはした。だが、百年は前の話だし、今の電車はそこまでひどい揺れ方はしないし、まったくもって失礼な話である。
もう片方もつまんでぐいっと横に引っ張った。
「こんなさせるようなこと言うからや。」
そのままぱちんと離す。いででで、とわざとらしく痛がっているのは知らないふりをした。
落ち着かない、なんてこの男には勿体ない感想だ。ぷいと窓の外に目をそらすと、そろそろ外は、神戸のビルの海を抜けたようだった。


窓の外を眺めたり、畑の作物の種類を当てたり、静かなるどうでもいいやり取りをしながら電車に乗る事一時間弱。その後は早足でバスに乗り換えた。時刻表はちらりとしか見ることはできなかったのだが、確かに該当の個所はかなり数字が少なくて、なるほど、と納得する。そしてバスに乗り込むと、そこからさらに一時間弱。道はしっかりしているものの、少しずつ寂しくなっていく両側を眺めているうちに、ぽんと肩をたたかれた。
「降りるで。」
「あ、うん。随分奥まで来たなあ。」
「一応姫路市なんやけどな、ここ。」
バスを降りると、こっちや、と播磨が先に立った。
あたりを見回すと、周りは山に囲まれている。民家の中にお寺が混じり、先の方には畑も見えた。ひなびた町という印象だ。
ほどなく、かなり立派な蔵が姿を現した。ぐるりと回りこんで正面に行くと、お約束の杉の玉と酒樽が鎮座していた。覚えのある銘柄に、ああと手を打つ。
「ああ、これ。こんなところにあったんや。」
「なんや、知っとんのけえ?」
少し意外そうな播磨に、うん、と頷く。
「うん、これは知っとお。美味しいんよね。」
「せやな。俺も好きや。」
実際の所、研究やら後学やらと称して、そこそこ酒は知っていた。蔵元まで行ったことがあるのは流石に全てではないのだが。
中は、ちょっとした販売所のようになっていた。
「こんにちはー。杜氏さんおるけえ?」
播磨は店の人に声をかけている。それをちらっと見てから、あたりを見回してみた。
銘柄は自分でも知っているものながら、大吟醸や純米酒など種類はかなりの量がおいてある。恐らく店頭に見えている冷蔵庫には生酒が入っているに違いない。
小規模から中規模と言ったところだろうか。灘の大規模な蔵と比べればかなり鄙びた印象だった。
ただ、造りにはこだわっているのが見て取れる。
「お、播磨さん。待ってましたわー」
奥から呼ばれてきたのは主人だろうか。作業着姿の男性が顔を出した。
「こんにちは、世話になるで。」
「ええ、二階に用意してますけえ、上がってください。」
どうぞ、と促す主人に播磨はうん、と頭を下げる。
「わざわざすまへんな。それと、連絡したとおり、連れがおるんやけど、ええか?」
こっちなんやけど、と向きなおられて、慌てて頭を下げる。
「ええ、もちろんどうぞ。」
笑顔で迎えられて、播磨は少しほっとしたようだった。
「えらいすまんなあ。」
「ありがとうございます。」
一緒になって頭を下げる。主人は笑って手を振った。どうぞどうぞと促されるままに奥の暖簾をくぐって二階へ向かう。
「播磨さんのお連れさんなら歓迎です。
 ……でも、お連れさんを連れてくるなんて珍しいですね。」
「出がけに捕まってしもうてな……。」
「勉強させてもらいます。」
笑顔で頭を下げると、播磨はさらに深々と溜息をついたのだった。

蔵の上の部屋には大きめのテーブルがあり、その上にはおつまみ数点とグラスが並んでいた。既に何人も席についている。挨拶をしている播磨に付き合って微笑んでいると、主人が一升瓶を抱えてやってきた。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。これより、新酒の試飲会を行います。」
ぱちぱち、と拍手が起こる。各酒の説明を聞いているうちに、お酒がどんどん運ばれてくる。辛くてスッキリしたもの、へえと思うほどに上品なもの、かと思えばかなり濃くて野性味の残るもの。自分の所でも作るため味は解る方だが、なかなか芸風が広くて面白い。
「ねえねえこれ美味しい」
「純米吟醸か、飲みやすくはあるな」
この味わいがいいとか、こちらが飲みやすいとか、この味を出すのに掛った労力だとか、酒も入って卓もにぎやかになってきた。一通りの試飲が終わると、今度は振舞酒が出てくる。
さすがに顔も火照って酔いを感じた。お開きの時間も近そうだ。おつまみをかじって、「ねえ、播磨」と話しかける。
「何や?」
「一足先にちょっと外出てるわ。ぽーってなってて」
「はいはい。気を付けてな。階段から落ちんよお。」
他の客との会話に戻る播磨を軽く見送ってから階段を下りる。
水をいただいて外の空気を吸いに行くと冷えた空気が心地よかった。でん、と構えた酒樽に手をついてあたりを眺めてみると、鳥の鳴く声がどこかから聞こえてくる。そういえば、行きがけに何か神社があったような気がする。休憩がてらちょっと散歩もよさそうで、足は自然とそちらを向いた。
住宅街の中をふらりふらりと覚えのある方に歩くが、見えたのは神社ではなくて寺だった。見かけたのは寺だっただろうか。よくわからぬまま中を覗くが、特に何の変哲もなく寺だった。首をかしげながら門の外へ戻る。はて、山の方からこう、山の方に向かったところだったと思ったのだが。
一つ二つと角を曲がると、また違う寺に行きついた。見かけたのはここでもなかったような気がする。畑と住宅街の中にあったと思ったが、どこにあったのだろうか。
ほわほわとした気分のまま、右へ行き左へ行っても目当ては見つからない。ついでに言えば元の酒蔵にもつかない。そろそろいったん戻ろうか。そう思って先に進むと、今度こそ神社についた。小さな神社はほっこりと佇んでいて、休憩によさそうとおもったのは間違ってはいなかったらしい。
境内にお邪魔しますと手を合わせて、辺りを見回してみる。……まあ、とくになにもない。人気もない。天満宮と書いてあるからには小さくても天満宮なのだろう。そんなことをぼんやり思っていたら、唐突に携帯が鳴った。
「はーい?」
「お前どこにおるんや!!」
播磨だった。唐突に怒鳴られて思わず顔をしかめる。
「どこだってええやん。」
「よおないわ!帰れんよおなるで!はよ蔵まで戻って……いや。今どこや?」
努めて冷静な声を出そうとしているのが何か可笑しい。
「え、なんか……神社……?」
「神社?あー、わかった、絶対動くなよ。」
「えー」
「えー、やないわ酔っぱらい!いいから!俺がいくまで動くな!」
言葉と共に、通話はぶつっと切れた。
「なんやのもう。」
携帯を仕舞いながら肩を竦める。そんなに厳重に言われなくてはならない事なのだろうか、これは。そういう事なら意地でも動いてやる。動いてやるのだ。自分からちゃんと蔵に戻れば文句はあるまい。ずかずかと蔵へ戻ろうと歩きだすと、後ろから走る音が聞こえてきた。きっと播磨だ。それはすぐに追いついて、ぐい、と手を握る。
「神戸!どこに行きよんのや、この方向音痴!!」
振り返らなくても、やっぱり播磨だった。手提げ袋片手に息を切らしている。
「蔵に戻る。」
「蔵はこっちや。」
手を振り払おうとしても離れない。
「こっちからでも行けるし。」
「わざわざ遠回りするんかい。」
はあ、と息がつかれ、ぐいっと手が引っ張られた。
「戻るで。さっさと挨拶して帰らんと、バス無くなる。」
「何でそんな田舎なん。」
「お前んとこ優先したからやろ。」
当然のように言われてぐっとつまる。言い返す前に、手がこっちにこいと引かれた。どうも離す気はないらしい。
蔵まではものの5分もかからなかった。あれだけ彷徨ったのに、というのが正直なところだが、それはトップシークレットだ。
「ほんまにすいません、お世話になりました。美味しかったです。」
「いえいえ。またいらして下さい。」
笑顔で主人に礼を言い、辞去の挨拶をする。踵を返すと、また手が引かれた。
「子供やない。一人で歩ける。」
手を振り払おうとしたのに、離れてくれない。
「信用できるか。お前今どっちの方角に向かってるかもわかってへんやろ。」
「……西……?」
「南や。わかったら大人しゅう付いて来。」
手提げ袋を持ち上げて、沈みかけの太陽と山の位置をさされたのでは言い返せなかった。むぅ、と唸りながら、結局手を引かれて歩き出す。
「……所で播磨、その手提げ何?」
気になって聞くと、播磨はああ、と肩を竦めた。
「丹波のお使いの酒粕。」
それだけにしては随分袋が大きい気がする。
「だけ?」
重ねて聞くと、ちろっと目線がこっちに向いて、速やかにそらされた。
「あとさっきの純米吟醸。」
「買うたん?」
「一本くらいええやろ。飲みやすくておいしい、て誰かも言うてたし。」
合わない目線は夕日に向いている。ただ、耳が赤くてなんだか可笑しい。
「真っ赤にしとうけど、照れてたりするん?」
「アホか。酒のせいやって。」
言下に言い切るが、あれだけ強情に離れようとしなかった手が緩んでいく。その手を今度はぎゅっと捕まえた。
「ほんとかなあ?」
「そういう絡み方するのやめえ、酔っ払いめ。置いてくで。」
手はそれでも離れない。視線もそらされたっきりだ。
だが、兄妹歴百年を超えればさすがに少しはわかる。これは多分照れている。これ以上言ったら怒るだろうから黙っていた方がいいのだろうが、……そう、ちょっとうれしい。
「はあいはい。」
心なしか機嫌よく返事をすると、溜息が返ってきた。
角を曲がるともう大通りだ。その先はバス停。
「何とか間に合いそうやな。」
時計と後ろを見ながら、播磨が息をついた。振り返ると、姫路行のバスがみえてきている。
ここまで来たら、もう迷うことはないだろう。でも、手は離さない。きゅっと握り締めて、先へ進んだ。握った先も、振り払う気はどうやらないらしい。
家までの二時間、結局その手は離れなかった。



これは覚えてる。確か手をつないだままで喧嘩するのを書きたかったんだ。
酒蔵は確かモデルあってちゃんとあの辺の地理も調べた気がする。奥播磨だったかな、確か。そしてこの辺から書式が変わっている。何があったんだろう。
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