雨の日

家まであと少し、というところだった。
急速に暗くなっていく空に嫌な予感はしていたのだ。しかし、雨は予想をはるかに超え、降り出して3分もしないうちに土砂降りの様相を呈していた。
降り出した雨を止める手立ては無論ない。
「くっそー、天気予報め嘘つきよってー!」
毒づいたって変わりはしないし、晴れと高をくくって持ってこなかった傘が都合よく現れるわけでもない。ざばざばと滝のような雨は、この様子ではそう簡単に止むとも思えなかった。
湿気た空気を吸って、吐いて、そして覚悟を決める。
家まではあと少しだ。播磨は土砂降りの中を全速力で走りだした。

「ただいまー!ひやー、濡れた濡れたっ!」
家に着いたときは下着までがっつり濡れていた。水を吸いきれないくらい吸った重たい服は、身体を容赦なく冷やしてくるし、靴は一足ごとに水音を立てる。
「ちいと待ち!濡れたまま上がんなや!」
どたばたと家に上がろうとすると、家の奥から丹波の鋭い声が飛んできた。その勢いに射抜かれて固まっていると、奥のほうから小走りに淡路が姿を見せる。
「あー、想像以上に濡れとるなー。ちょうまち、タオルと足拭き持ってくるわ。」
そして、ひょいっと奥に引っ込んだ。
「はよしてやー。」
靴の水を捨てながら、ずぶ濡れのまま玄関口で待つ。夏近いのに、びしょぬれなおかげで寒気すらした。これはお湯でも掛からないと風邪を引くのではないだろうか。
そんなことを考えていると、ガラガラっと良い音がして、玄関が開いた。
「ただいまー!ごめーん、タオルもってきてやー!」
ぜえはあと荒い息と通る声。振り向けば、見事に濡れ鼠と化した神戸だった。
「なんや、傘持っていかんやったんか。」
梅雨に向けて傘を買ったとかなんとか言っていたのはつい先日ではなかったか。お気に入りだとかなんとか聞いた気がするが、全く役に立ってない。
「播磨に言われとうないわー。なんやその格好。」
ふるふる、と神戸が頭を振ると、水滴がこっちにまで飛んでくる。
「やかまし、お前だって濡れ鼠やんけ。」
神戸の格好だって、夏用の薄手のブラウスは透けて肌色が若干見えていたり、スカートからは水滴が滴っていたりと散々だった。素直に感想を言えば、みっともない、である。・・・他人のことは言えないが。
「待たせたのー。」
ぱたぱたと足音がして、廊下の奥から淡路がタオルと足拭きを抱えて持ってきた。
「・・・ほい、タオル。足拭きも。ちゃんと拭いてから上がりー」
「ありがとなー。」
それぞれにタオルを取る。
「ぷはー。」
「ふはー。」
顔を拭いてしまうと、かなり楽になった気がした。次いで髪や手から水気を取っていく。上から下へ、タオルが水を吸った分、此方の重さは消えていく。
「体冷えたわ。お湯掛かってええか。」
やれやれと息をつくと、淡路はわかった、と頷いた。
「ほんなら、着替え準備しとこー。」
「あ、うちも!」
とてとてと踵を返す淡路に、神戸が声を掛ける。
「ほーい、神戸の分もやなー」
そう言うと、淡路はぱたぱたと奥にひっこんだ。
「さてと」
濡れるだけ濡れた靴を脱いで、足拭きに足を置いたのは同時。
「播磨、もちろん譲ってくれるんやろ?」
「誰が譲るかアホ。」
退けや、と神戸を押しのける。
神戸が入ってしまったら、なんだかんだで時間が掛かる。つまり、待っている間に身体は今度こそ芯まで冷え切ってしまうだろう。それは勘弁願いたい。
バタバタと足を拭いて二秒、着地した瞬間足元がズル、と滑った。次の瞬間、体は廊下にダイビングを決め、衝撃が全身を襲う。
「ったあ・・・!何すんのや!!」
足拭きをひょいと引かれたからに他ならない。
「ごめんなー。」
下手人は、お先、と強かにコケた横を駆けていくところだった。目的地は自明。
「待てやこの、抜け駆けすんなー!!」
コケた衝撃で痛む身体を跳ね起こし、神戸を追いかける。
「早いもん勝ちやろ!」
追いつけるか、と思ったところで、脱衣所に先に入ったのは神戸だった。目の前で脱衣所のドアは音を立てて閉められる。
「悪いけど、お先させてもらうで!」
ホッと一息、上機嫌。そんな声とともに、鍵の音がした。
「やり方が汚いで!」
「何ゆうとんの!先に手ぇだしたの播磨やん!」
「あんなん手ぇ出したうちに入るか!」
「ああもう細かいなあ!いちいちうるさいで。ほら、諦めてさっさと着替えて来ー。」
中から聞える声が腹立たしい。
「くっそー、手出しできへん思って・・・!」
ドアに八つ当たろうとしたそのとき。
「お前らやかましいで、ええ加減にせい!」
後ろから怒鳴り声がした。振り向くと、丹波と淡路が着替えを抱えて立っている。
「全く、ドタバタドタバタと・・・大人気ないにもほどがあるわ。お前ら何年生きてるん?なあ、どうやったら成長するんや?」
呆れと怒りの混ざった丹波に、淡路が肩をすくめる。
「無理やって。二人ともトリカブト飲ませたって大人しくはならへん、うちわかるー。」
「アホ、そんなん飲んだら死ぬわ!」
「播磨やったら大丈夫やないの?」
ドアの向こうからからかうような神戸の声。
「やかまし」
「神戸もやで。」
しかし、丹波のぴしゃりとした声に、ドアの向こうも静かになった。
全く、とため息をつく丹波は静かに怒っているようで・・・正直怖い。
「播磨、さっさと着替えて来。終わったら居間で配膳。」
押し付けられた着替えと手伝いに否はない。
「神戸も、早よ上がって玄関からここまで掃除するんや。」
ついで丹波がドアの向こうに声を掛ける。
「えー、なんでや播磨も同罪やん!」
「播磨をコケさせたんはお前やろ。」
冷静で淡々として、・・・妙な迫力がある。無論抗議の声は、一発で静かになった。
「因果応報や。」
しおらしい声に、ざまみろと声を掛ける。
「やかまし」
「さっさとしい。」
発火しかけた空気は、丹波の静かに迫力ある声であっさりと鎮火したのだった。


ぐしょ濡れの服を脱いで、タオルで全身拭いて、乾いた服に着替える。
身体は冷えるが、それだけでもかなり快適だ。外は雨の音がまだ激しいが、とりあえず此方は人心地ついた。
やれやれ、と脱衣所に向かう。
「神戸ー、あけるでー。」
水音のする風呂場に声を掛けると、ええよーっと声が返ってきた。
「鍵は開いとるで。ちゃんとしめてなー。」
「へいへい」
籠に濡れ物を放り込んでドアを閉める。
「お湯あったかいでー。天国ー。」
風呂場からは機嫌のよい・・・というより此方をからかうような声。
「わりゃぁ喧嘩売っとんのか?あぁ?」
「そう怒らんでやー。ほら、食事の支度するんやろ?」
手が出せないと思ったのか、余裕である。なんとも腹立たしいが、確かにこれでは手出しは出来ない。
「お前も掃除あるやんか。さっさ上がれや。」
わかっとるってー。そんな声を聞き流しながら踵を返すと、ガラガラっと勢いよく玄関の戸が開いた。
「ただいまー。」
但馬だ。
「おう、お帰りー。タオル持ってくるけえ、ちょい待っとけ。」
「うん、おおきに。」
声を背中にタオルを取りに行く。戻ってくると、但馬は靴を脱いで足を拭いているところだった。
「ほれ、タオル。」
ずぶ濡れを想像していたが、濡れているのは足元だけらしい。
「なんや、意外と濡れとらへんやったんやな。」
「ほうけ?足はこの通りだで?」
よいせ、と足を拭いて、但馬は濡れた靴下を摘む。
「この雨、予報でも言うとらへんやったし、いきなりやったやろ。俺も神戸もえらいびしょ濡れで帰ってきたんや。」
そう言うと、但馬は、ああ、と笑った。
「俺んとこは天気が変わりやすいしけぇ、傘は常備が基本だで。」
「あー、そうか。」
「弁当忘れても傘忘れるな、ってな。」
但馬はそう言って脱衣所のほうに向かう。
「あ、今神戸入ってるから気ぃつけぇやー。」
うるさいで、と言うと、わかったー、と返事が返ってきた。

「やれやれや。」
居間に辿り着くと、淡路がのんびりお茶を飲んでいるところだった。
ずず、と飲んでいるのは、この季節にもかかわらず熱い煎茶である。
「播磨も飲みー。」
しかし、冷えた身体にはそちらの方が魅力的だった。
「ああ。ありがとうな。」
淡路が差し出してくれた湯のみを受け取り、ずず、とお茶をすする。喉を通る熱さはじわりと胃袋から身体を温めて、冷えた身体に沁みわたった。
「ふはー・・・生き返るわ。」
やれやれ、と身体を弛緩させたあたりで、但馬も入ってくる。
「あ、ええもん飲んどるな。俺もー。」
「ええで、ちょうまちー。」
淡路がほいほいとお茶を但馬に渡すと、但馬もそれを受け取って傍に座った。
「やれやれ、ホッとするなー。」
「せやなー。あーもうまったく偉い目におうたわ。」
にわか雨にやられるわ、神戸にコケさせられるわ、風呂は逃がすわ、丹波は機嫌悪いわで散々である。
「何しとったん?」
「さっきなー」
但馬に問われて答えようとすると、台所の方から丹波が姿を現した。
「神戸と二人して大騒ぎしよったんや、まったく。」
ぱちん、と携帯をたたむところを見ると、どうやら電話中だったらしい。
「雨に濡れただけでなんであんな大騒ぎせなあかんのや。
 おかげで京都はんに電話掛けなおさなあかんかったやん。」
「悪かったって。」
ぶちぶちと不機嫌な丹波に、今日は逆らうまいと心中ひそかにため息をつく。
「兵庫の家はえらい賑やかやなあ、やて。全く、わての方が恥ずかしいわ。」
「悪かったって言うとるやんか。」
酷い低気圧っぷりである。これはあまり丹波に寄らない方が良いかもしれない。そんなことを考えていると、居間の戸がまた開いた。
「あー、良いお湯やったぁ。」
神戸だ。丹波の鋭い視線が神戸の方に向く。
「神戸、掃除は?」
「え。」
見たところ、神戸は髪も乾ききっていない。このタイミングなら多分まだだろう。つついてやりたいと思いはしたが、矛先が神戸に向かった今こそが離脱のチャンスである。
「飯の準備してくるわ。」
そそくさと台所に立った。
「うちも掃除してくるっ!」
後ろの方で、慌てて神戸が出て行く。

台所に辿り着いたところで、全く、とこちらまで丹波の深いため息が聞えた。
怒りはまだ冷めてはいない。・・・しばらく冷める予定もなさそうだ。
準備しているうちに少しは冷めてくれないだろうかと。そんなことを思いつつ、播磨は食器棚に向かったのだった。




あなたは「服毒」「抜け駆け」「お気に入りの傘」の三つを織り交ぜたふたりの作品を創作してください。 http://t.co/cUUhbBw #CP_Chara_sousaku  とかいうのが出てきたので書いてみた突貫工事。
・・・や、改装すんのに何も更新なしってのもなあって思いまして。
とりあえず兵庫です。めっちゃ家族です。さっとネタ出てきたからというのもありますが、方言の壁のことをすっかり忘れてたおかげで、今回は方言あんまりちゃんと調べてません。間違いとかあったらすみません、指摘いただけると助かります。
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