一家の華

どうにも調子が悪かった。
背筋が寒いような。頭も痛いような。ついでに身体も震えているような。
これではいけないと、ひとまず、コタツに伏せて一息ついてみた。しかし、まだ気分は晴れない。
ふと見れば、傍に居る淡路の表情も消えている。ひとまず抱えあげて抱きしめてみると、淡路もまた小さく震えていた。
「神戸、べっちゃないけ?」
胸に抱かれた淡路が、そう言ってくっついてくる。
「うん、べっちょない。淡路も顔色良うないで。べっちょない?」
「うちは、平気。神戸ほどやない。」
くっついたまま、淡路はそう答えた。
「一過性や。じきによおなる。」
「うちかて一過性やろ。すぐ動けるで。」
今はあんまり動きたくないけど。そう言うと、淡路も、うちも、と頷いた。
無駄に震える身体を抱きしめあって宥めていると、居間の戸が開く。
「ただいまー。戻ったで。」
顔を上げると、播磨が入ってきたところだった。
「ああ、おかえり。」
淡路を抱く腕を緩めて、声を掛ける。
「おう。」
播磨は、そのまますたすたとこちらに向かい、すぐ側に腰を下ろした。
「今日は早かったんやね。丹波と但馬はまだやで。」
「そうみたいやな。」
答える播磨の腕がこちらに回る。
「どうしたん?」
同居暦百年以上だ。抱きしめられた程度でもがくほどの間柄ではない。しかし、珍しいものは珍しい。
「ああ。夜中にたたき起こされる前に保険打っとこ思ってな。」
そう答える播磨に引き寄せられ、淡路ごとうしろから抱きしめられた。
「どういう意味や。」
「今夜あたり呼ばれるよーな気いしたんやけど。」
からかうような声の響きとは裏腹に、ぎゅう、と抱かれる力が少し強くなる。
「・・・珍しいのー。ほんなに気が回るなんて。」
淡路が言うと、せやなあ、と頷く。二人はそれで分かり合ったらしいが、自分はあまり納得行っていない。
「うちは別に・・・」
上げた声は途中で止まった。
そんなことする訳ない、とは断言できなかった。何せ少し前に前科がある。
「神戸、大人しく抱かれとき。」
今、かなり疲れとるやろ。
腕の中の淡路に言われて、さらにつまった。
確かに今は調子が悪い。こういう時は無駄に心細くて、淡路を抱く腕にも力が入ってしまう。しかし、家でまで意地を張る気もしなかった都合上、播磨の読みは、さほど間違っていないのだ。なんだか悔しいが。
「・・・・・・。」
数秒の葛藤は、その無意味さを悟らせただけだった。
意地と言い訳と抵抗は放棄する事にして、どん、と播磨に体重を預ける。
「それなら、甘えさせてもらお。」
「そうしとき。」
受け止めるしっかりした感触は、不思議に安心感があった。抱きしめてくれる身体は暖かくて、震えも少し鳴りを潜めたらしい。
よっこらせ、と、播磨もコタツに脚を伸ばした。体勢も安定して、ふう、と息をつく。それと同時に、顔に、大きな手が被さってきた。
「何なん?」
厚くてなんだかゴツゴツした手だ。おかげで前が見えない。
「目え閉じとる方が楽やないけ?」
「せやね。」
素っ気無い言葉に頷いて、大人しく目を閉じる。淡路も、と声がして、ほやのー、と声が答えた。
子どもを落ち着かせるように、ぽん、ぽん、と撫でられる。その感触にふわりと緊張が緩んだ。気がつけばうつらうつら、意識は夢と現の狭間を行っている。
どのくらい意識を手放していただろう。
「ただいまー。」
不意に聞えた丹波の声に目を開けた。しかし、起こそうとした身体は、ぐい、とまた元の位置に戻される。
「なんや、神戸も播磨も帰っとったんけ。」
「ああ。」
丹波もすたすたとこちらに来て、空いた縁に腰を下ろした。
「ほれ、淡路。」
その手はひょいっと抱きしめていた淡路を取りあげる。身体の上が軽くなった。淡路がふうっと息をつく。
「神戸に絞め殺されるとこやったんやない?」
「そんな」
「否定はせえへな。」
淡路はそう言うと、見ている前で丹波にしがみ付いた。
「神戸にはこれやな。」
空いた両腕に渡されたのは、以前に買った大きなクッション。適度に中身が詰まっていて、それなりに抱き甲斐がありはする。淡路には負けるが。
「さっき但馬も戻って来とったよって、じきに来るで。」
そんな事を聞いているうちに、ただいまーと声が掛かった。
「ごめん、荷物あるしけーあけてーな。」
「はいなー」
但馬の声に、丹波がひょいっと立ち上がる。
戸を開けると、少しサイズのある箱を大事そうに抱えた但馬が立っていた。
「おかえりー、それはどうしたんや?」
「ちょっと作ったもんがあるで。そっち置かしてーな。」
そっとそっと箱はコタツの上に置かれる。見ている間に箱が開かれ、真っ白な白磁が顔を出した。
「すご・・・」
薄い地に入った繊細な彫刻に、思わず声を上げる。出てきた物は、一揃いのカップセットだった。
「今度の試作品だで。カップって、薄うしようとすると作りにきーわ。」
そういいながら但馬は白磁をコタツに置いていく。
「や、けど、これ十分綺麗やん。」
「ほうけ?ありがとう。
 もうちょびっと幅広げたら神戸の好いとる紅茶も似合いそうなんやけど。」
けど、ティーカップってさらに薄いでなあ。
そう言って笑う但馬に、いやいや、と手を振る。
「幅はこれくらいでもあるで。十分いけるんやない?」
「ほうけ?ほんなら、ポットも作ればよかったやろかなあ。」
但馬は箱を下ろしながらそう言った。
その様子を目で追いながら、想像するのは白磁に彫刻の施されたポット。どう考えたってなかなか豪華である。
「ええなあ、それ。」
思わず頬が緩んだ。その様子を見ていた丹波が立ち上がる。
「ほんなら、お茶でも淹れようかいな。但馬、パス。」
パスされた淡路は、今度は但馬のほうにしがみ付いた。
「俺もパスしたいわー」
耳元で播磨が声を上げる。その割には腕は自分から離れていないのだが。
「播磨は黙って神戸の背もたれになっときや。自分も調子悪いんやろ。」
丹波はそれだけ言うと、カップを指に引っ掛けて台所に立ってしまった。
「・・・調子悪かったん?」
振り返って聞くと、間近の顔はふいっとそっぽを向いてしまう。
「別に丹波が言うほどやない。」
どうやら本当に調子が悪いらしい。
「寝てた方が」
「わえらよりゃマシじゃ。一過性のもんやろし気にすんな。」
ぺち、と頭を叩かれた。
なんだかんだで強情な播磨の事、これ以上言っても聞きはしないだろう。そこまで見当をつけて、大人しく身体を預けたままでいる事にした。自分も多少マシになったとはいえ、調子が悪いには違いないのだし。
ただ、播磨が帰ってくるなり珍しく抱きついてきた理由は、なんとなくわかった気がした。自分だって、今日は結構長いこと淡路を抱きしめていたのだ。それは、調子を崩していた淡路のためだけではない。同じように調子を崩していた自分の精神安定の意味も多分にある。
・・・もちつもたれつ、って奴なんやろか。
なんとなく播磨と・・・ついでに、いつもの淡路の気持ちまでわかったような、不思議な気分だ。
ふと淡路の方を見れば、淡路は但馬に身体を預けて目を閉じていた。体力回復中、といったところだろうか。但馬はそんな淡路を包み込むように抱えて、微かに身体を揺らしている。
きっと、自分と淡路の体格差はあれども、あまり変わらない状態なのだろうと、ぼんやり思う。
寛いでいる淡路に習って目を閉じてみると、背中から伝わる熱で全身が温まっているのがわかった。心地よいと、素直に思えた。

「入ったでー。」
また、丹波の声で目を開ける。
振り向いた先には、器用にお盆を片手に持った丹波が立っていた。
「ほら、ちょっとよけてくれやい。」
コタツに来ると、下ろしたてのカップをひょいひょいと並べる。そして、慣れた手つきでポットを持って手際よく注ぎ分けた。注がれる明るい紅は白磁のカップに良く映える。
「へえ、綺麗やな。」
「ありがと。あ、淡路、気をつけなあかんで。」
「わあっとらー。」
カップを取るべく身を起こそうとすると、背中をすうっと寒い感覚が伝った。暖かい感覚が惜しくて、また後ろに背を預ける。
「べっちょないけ?」
珍しく多少心配げな問いには、ひとまず表情を曇らせてみせた。
「・・・あんまよおないわ。」
嘘では無い。しかし、本当でもなかった。
演技でなくては表情が曇らない程度に、いつの間にやら体調はだいぶ回復している。しかし、そこはそれここはこれ、暖かな背もたれは、それが播磨だという事をさておいても、今は魅力的だった。
ついでにそのままの体勢で紅茶に手を伸ばす。ところが、伸ばした手はすぐにはたかれた。
「行儀悪いで。寝るなら寝る、起きるなら起きる。ちゃんとせえ。」
丹波にぴしっと睨まれて、しぶしぶ身体を起こす。やっぱり背中がすっと冷えた。後ろはもぞもぞと、どうやらここから脱出するつもりらしい。
「まだ背もたれにしてやっててええんやで?」
声を掛けると、はん、と息をつかれた。
「そんだけ言えるんならもう十分回復したじゃろ。」
俺も紅茶ー。
そう言って隣の縁に移動する。
それぞれがカップを取りあげ、口をつけた。爽やかな渋みとコクが口いっぱいに広がる。この茶葉は上物だ。
「んー、おいしい。」
「おおきに。まだ神戸ほどやないけど。」
ずず、と紅茶を飲みながら丹波が応える。
「丹波の紅茶もおいしいって。」
確かに、紅茶の扱いはこちらの方が慣れている。しかし、生来の職人魂のためか、丹波の作るものは何だって美味しかった。紅茶だって、これだけ美味しければ十分だ。
「後は背もたれがおってくれたら完璧やのにー。」
ちらりと播磨の方を見る。
「調子に乗るなやアホ。」
しっし、と追い払うような仕草は、少々冷たいいつもどおりだ。
「だってー。ずっと背中温かかったんやもん。いきなり無くなったら寒くってー。」
「貼るカイロでもはっとけや。」
にべもない。
「さっきまではそれなりに優しかったやんー。」
ぶーたれた文句は黙殺された。
面白くない。
「いきなりくっついてきたから、最初セクハラかと思ったんやでー。」
もう一つ。からかい混じりで言ってみると、今度は即答が返ってきた。
「アホか。お前なんぞにセクハラやって何が楽しいんや。」
柔らかくも無いのに。
切り捨てるような即答とさらに余計な一言に拳を喰らわせる。そこはせめて言葉に詰まるくらいのデリカシーが必要なところではなかったか。
「ってえ・・・。」
なんとか紅茶は死守したらしい。カップをこたつにおいて、播磨はこちらを向いた。
「何どいや!!」
「自分の胸に聞いてみればええんやダボ。」
ふん、と紅茶をすする。
「感謝されるんならともかく、どつかれる覚えは無いで!!」
手が伸びてくる。上等。ねじ伏せてくれる、とカップを置く。襟首に手が届いた。戦闘開始だ。
といったところで。
「あの調子なら、もうたいがいええんやろか。」
こそり。丹波の声が聞えた。
「うちはたいがいよおなったでー。」
見ると、淡路が頷いているのも目に入る。
「ほんならええんやない?」
但馬まで、肩をすくめて頷いていた。
聞えなかったフリで一呼吸。ついでに体調を再確認してみると、確かに、さらに好転していた。気にしなければ気にならない程度に。
播磨の方も聞えていたらしい。襟首を掴んだところで止まっていた手は、やがて、神戸をぽいっと放り出した。
「せえへんの?」
「病人に手え出したら俺が悪者やんけ。今日は大目にみたる。」
フンと捨て台詞で、元の場所に戻る。淡路が無表情で出迎えた。
「おー、えらいでおにいちゃん。」
ぱちぱち。小さな拍手を、播磨は指ではじいて止めさせる。
「何がおにいちゃんじゃ。同居させられとるだけや。」
「でも、すっかり言動がおにいちゃんや。」
そう言って、淡路はマイペースに紅茶をすすった。播磨の方はと言えば、相手が淡路だけに言い返しあぐねている。
これが自分相手なら、恐らく間髪居れずに怒鳴り声と手が出ていただろうに、なんだか不公平を感じる。だからといって、淡路に手を上げるのは播磨では無いとも思うが。
「同居長いもんやさかい、意地はってるつもりで洗脳されたんやろ。」
丹波がくすくす笑う。
「わえも他人の事は言えんやんけ。」
「あては播磨みたいに意地張ってへん。神戸の事は妹やと思うとるし。」
神戸を育てたのはあてや。自慢げに微笑む丹波に、播磨はフンッと鼻を鳴らしただけだった。
そんな播磨の袖を掴む。
「なんや。」
「そっちいってええね?」
聞きながら身体を移動させる。
「背もたれにはならんで。」
こちらが身体を移動させた分だけ、あちらも身体を移動させる。反対方向に。
「病人は大事にするもんや。」
伸ばした手は、すげなく叩き落された。
「『丹波おにいちゃん』のとこいけばええやんけ。」
しっし、と追い払おうとする手を捕まえる。ついでにたまには使ってみる上目遣い。しかし、こんな美人と見つめ合っているというのに、播磨に動揺の色は欠片もない。
「播磨がええ。」
「なんでや。」
「一番反応面白いんやもん。」
「ダボが!今すぐ播磨灘沈めたるわ!」
言葉と拳は同時だった。


手だの肘だの悪口だのの応酬は、丹波の『お茶冷えるで』の一言で割に早く休戦を迎えた。
「兄妹喧嘩は家の華かもしれんけど、もうちっと静かにできんのやろか。」
丹波がはあ、とため息をつくと、淡路が首を振る。
「無理や、二人して自己主張強すぎるよって。」
「それに、静かやと逆に心配になるでなあ。」
困ったように肩をすくめる但馬に、それは確かに、と丹波と淡路が頷いている。
「どう言う意味や。」
「そう言う意味やろ。」
噛み付く播磨に丹波は肩をすくめるだけだ。
言い返せなかったのか、ふてくされ顔で紅茶をすする播磨に、もう一度ちょっかいをかけてみる。
「ねえ、播磨ぁ。おにいちゃんって言うたら、背もたれなってくれる?」
一瞬だけ、播磨が止まった。
「ふざけとれアホ。」
ぺちん、と額が指ではじかれる。
でも、その一瞬に確かに見えた。
小さな動揺。それと、微かに赤くなった頬。
その表情が、なんだか少し、嬉しかった。





兵庫って言葉が本当色々過ぎて、5人分調べるのは流石に骨だった・・・というか、台詞多い神戸と播磨は途中で力尽きましたすみません(・・・)
兵庫って、誰かが調子崩したら、なんだかんだでみんな心配してくれるような気がしてます。で、ちょっと構ってーってやってる神戸さんはそれはそれで可愛い気がする。
あと兵庫に目覚めてから改めてご本家様見てたら、意外と兵庫はバイオレンスで面白かったです。神戸さん普通に播磨沈めてたし、丹波但馬播磨で神戸に物投げつけてたし。その対応にお互い慣れてるみたいなのがまた、仲良いんだなあとしみじみ。
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